近現代書批判序説 ―「無私」の美―6
- harunokasoilibrary
- 11月17日
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左の図版は、春野かそいの「母の肖像3」である。2015年の制作。「愛」の字が書かれている。亡くなった母の面影を漢字で再現している。「愛」字は恣意的にデフォルメされている。背景は、青や赤や黒色の絵具で何層にも塗り重ねられ、結果的に、黒に近い色調になっている。点画の縁が水色に見えるのは、最初に塗られた色が見えているのである。深海を漂っている生物のようも見えるが、それを狙って書かれたわけではない。結果的にそうなったのである。色は作者の感情が塗り込められた結果である。亡き母と、書を通じて、イメージの中で、出来るだけ永く会話したかっただけである。構成などに作為はあるが、作者の存在は希薄である。「無私」にはまだ遠い作品である。
中の図版は、春野かそいの「家族の肖像」である。2016年の制作。「星・月・太陽・地球」の字が書かれている。太平洋戦争の敗戦前後、朝鮮半島からの引揚者の家族のイメージを歪んだ漢字で再現している。家族だけでの着の身着のままに近い逃避行であった。多くの家族が犠牲になったという。背景は赤や青や黒色の絵具で何層にも塗り重ねられ、深い藍色になっている。暗黒の時空を彷徨う家族である。点画の縁には虹色に輝く彼岸が見え隠れしている。ここでも作者の存在は希薄であるが、「無私」にはまだまだ遠いように感じる。
右の図版は、春野かそいの「回帰2」である。2017年の制作。「死」の字が整然と並んでいる。「死」字は、初唐の標準的な楷書である。これは、亡き母の供養のために書かれた。作者は、山野を歩く行者のように、一点一画、弛むことなく坦々と書いている。無限の空間を永遠の時間が漂っているかのようである。背景は青色が何層か塗られ、深海のような、異次元の世界を連想させる。死とは実在なのか、虚構なのか、現実なのか、幻なのか、「死」の字が、大きさのない時空を彷徨う死者の霊のようにも感じられる。青の余白の中、死の恐怖が遠のいてゆく。ここでは作者の個性など問題外である。芸術の普遍性、世界性などというモダニズム的発想などは幻想に過ぎない。ここにあるのは、母との死別を認めることができない哀れな子の姿である。他人には分からない個人的な悲しみである。これは普遍的芸術などという無意味な観念ではない。母の死という現実と、「書」という、フィクションに過ぎないモノがあるだけである。最初の図版の「光」には遠く及ばないが、ここには「無私」の美が、キラリキラリとかすかな光波を放っているように感じる。
以上、十分ではないが、検証を終わろうと思う(現代の伝統書については別の機会に検証したい)。十分な検証には、このような序説ではなく、『世界「無私」芸術史』ないしは『世界「無私」美術史』または『「無私」書史』のようなタイトルで、人間の芸術活動に新しい光を当て、「無私」本論を構想しなければならないだろう。
さて、私は、幼児の書いた「光」に触発されて、書の美ないしは芸術の美の根幹に「無私」があると直感し、書き手の「こころもち」を読むという方法で、古代から現代までのいくつかの芸術作品と書作品とを検証した。あくまでもここで述べられた見解は私の個人的な主観に過ぎないが、近現代の特に「近代的自我」という、欧州という一地方から伝わった思想が近現代芸術を個性的で、多様で、魅力的なものにしたのだが、また、卑小で、独善的で、虚無的なものに貶めてきたのも事実ではないかと思う。中でも書は、芸術としての本来の力を奪われてきたように思われる。
ところで、幼児の書いた「光」の美は、「無私」の賜物なのだが、その「無私」はどこからやって来たのであろうか。もちろん幼児の心の中からやって来たのだが、その心は、彼の中にはじめからあったものであろうか。そうではなく、それは、父であり、書の指導者でもある私との関係から生まれてきたものであると、私は考えている。その関係とは、全人的な信頼関係ではないだろうか。父から子へといった、一方的な関係ではなく、互いに敬愛する人間らしい関係である。その関係が、あの、とてつもない力を秘めた「光」を生み出したと、私は思うのだ。
子供との信頼関係から生まれた芸術作品の例をいくつか見てみよう。世界のあらゆる地方で様々な時代に、それらは生まれているに違いない。それらは未来の希望であると、私は思う。

図版は、左から、ピカソ「鳩を抱いた子供」(1901年) 油彩。モディリアーニ「おさげ髪の少女」(1918年) 油彩。国吉康雄「果物を盗む少年」(1923年) 油彩。木下恵介監督映画「二十四の瞳」(1954年)から。小栗康平監督映画「泥の河」(1981年)から。
これらは、子供との信頼関係から大人が作品を創造した例である。
「光」は、指導者の語る書の規範を子は信じ「無私」になって書かれたものだが、同じように書道教室や塾で、先生の語る何らかの書の規範に従って書かれた多くの作品が陳腐なのはどうしてだろうか。関係によってものごとは存在するのならば、そのような結果をもたらす関係がそこにあるからである、としか答えようがない。
近代的な私たちは、まず「私」がいて、その後周囲との関係ができると考えているようだが、私と私の子は、まず父と子の関係があり、その関係から子の「私」がつくられ、その「私」からあの「光」が生まれたのである。その「私」は「無私」である。本来、個人が先にあるのではなく、関係が先にあるのではないだろうか。そして信頼関係が「無私」を生むのではないだろうか。近代以前の芸術の多くが、あまり個性的でないとしても、そこには、穏やかで平和な落ち着きがあり、豊かな趣がある。
あえて芸術家と呼ぶが、古代や中世の写経生や画家たちの多くが、当時の書や絵の規範を信じ、国や宗教を信頼し、芸術の規範を実現することが、自分を含めたローカルな社会や宗教界の成員たちの幸せのためになり、そこに自分の存在価値もあるのだと考えていたのではないだろうか。芸術家たちには、もちろん古代から自分という意識はあったのだが、その自分は孤立した一本の木ではなく、木ならば林や森の中の木のように、他との関係がなければ存在できないのだと、意識することなく、自然に、関係の中で生きていたのだと、私には思われる。
「無私」の作品を制作した彼らは、戦争や天変地異のつづく不幸な時代に生きた人が多い。敦煌石窟の千年は、国や宗教の栄枯盛衰と戦争の歴史である。ロシアの中世も戦乱と破壊の中、芸術家たちは生き抜き、夢を描いたのである。ガウディの「生誕のファサード」も、二つの世界大戦に挟まれた狂気の時代に造られている。
芸術家たちは、国や権力、自然や戦争、民衆や宗教などとの関係が自分の全てであったと感じて生き続けたと、私は思う。
近代から現代にかけ、多くの人間は、「個人の尊厳」、「自立した個人」、「掛けかえのない自分」などといったイメージを人類の普遍的価値と思い、その完全な実現を目標に世界をつくってきた。その結果が、バラバラに孤立した、ひとりぼっちの、孤独な個人が集まった世界の出現である。芸術家の多くも、自己の実現、自分のスタイル、自己表現等々、自分の世界だけが全てになってしまった。このままでは、芸術家は、自分の作品を、自分のために作り、自分だけで鑑賞し、自分に酩酊し、自家中毒をおこして終わるのではないだろうか。セザンヌが「自分の作品が一番好き」と言ったらしいが、セザンヌは現代の孤独を先取りしていた魁であったのか。
私は思うのだが、芸術家の役目は、制作と生活を通して、社会や自然や人間との豊かな関係を取り戻すことではないのか。また、生だけでなく、死との関係も取り戻し、そして死者と共に生き、未だ見えない未来のイメージを人々に提供することではないのか。
そのような積極的で純粋な生き方に、古代・中世・近世の芸術、そして「無私」な子供たちがヒントを与えてくれているように私は感じるのだ。
書道界に、「無私」の美の復権を提言して、この論考を終わりたい。
(完)
2018-01-16 11:01:18



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