近現代書批判序説 ―「無私」の美―3
- harunokasoilibrary
- 11月17日
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(前記事からのつづき)

左の図版は、莫高窟第220窟にある初唐時代(642年)の壁画「西方浄土変」の部分である。幅約5.4m、高さ約3.4m。蓮華座上に坐る阿弥陀仏を中心に西方浄土が描かれている。構図は左右相称で壮大、色彩は碧緑を基調に豊潤である。舞人が披帛を両手に持ち胡旋舞を舞い、楽人が様々な楽器を奏で、画面全体から楽音が聴こえてくるかのようである。人物は写実的で、形を決める線は流麗で正確、生き生きとして潤いがあり、すべてに丸味がある。この壁画は「九成宮醴泉銘」が書かれてから10年後の制作である。やはり、これも図版3の初唐代の写経と同じ美のイメージで描かれた、「無私」の表現だと、私は思う。
中の図版は、ロシアイコンの大家、アンドレイ・ルブリョフの「聖三位一体」(1410年制作)である。三人の天使が大きな円を描く左右相称の構図である。青色と黄金色の対比が美しい。イコンの図像は、ビザンチンから受け継がれた規範を基本に描かれている。戦乱と頽廃の時代に生きたルブリョフは、画家であると同時に修道者でもあった。彼は、人間の平安と幸福を願い、「無私」に生きた画家だった、と私は想像する。絵の周囲に額縁のように盛り上がった部分を作っているのは、天上界と地上界とを区別するためだという。絵の世界は理想の世界への窓なのであろうか。画家は無私に描き、理想の世界を人々に提供するのである。
右の図版は、ガウディの「サグラダ・ファミリア」の「生誕のファサード」(1894~1930頃)の部分である。キリストの誕生の場面が、ごてごてと写実的に描かれている。装飾過剰で俗な表現であるが、ガウディは、民衆の平安を願い、民衆に分かりやすい写実的なイメージにしたものと思われる。
浮世離れしたガウディにはサグラダ・ファミリアの聖なる尖塔が似合っているが、聖と俗が一体となった世界こそ彼が望んだ調和世界だったと思う。そ
こでは人間や神だけでなく、虫や獣や植物など、あらゆる生命が支え合って生きているのである。ここにも私は、「無私」の美が結晶していることを感じる。
以上、「無私」の芸術と思われる作品について、時代も場所も異なる地球上の地域から、その代表的なものを取りあげたが、しかし、これらは、あくまでも私の主観が感じる「無私」の芸術作品であり、科学的ないし客観的なものではない。まず直観的に「無私」と感じることからはじまり、その感じを、作品全体から細部へ、また、細部から全体へと往還をくりかえし、深く観察することで、さらに考え感じ、最初の直観を再確認する。しかし、この作業は作品を科学的に分析することではなく、知識という歪んだ先入観によって見ることでもない。私が見ているのは「こころもち」の在り様である。「こころもち」の在り様で「無私」か「有私」かが判るのである。作品を制作する時の「こころもち」は、隠しようがなく作品の内外に表れる。観者は、それに気づきさえすれば誰でもそれを見ることができるのである。
言うまでもなく「無私」の芸術は、さまざまな時空の中に無数に存在すると思われるが、ここで、私の言う「無私」について少し説明するのが親切かもしれない。
「無私」とは、「私が無い」ということである。ここで言う「私」とは、近代的自我のことである。「私」という意識は太古から在ったかも知れないが、そのような自然な「私」ではなく、欧州の近代に資本主義と共に生まれ、数百年かけて世界中に伝染していった「私」、「かけがえのない個人」、「個人の尊厳」「たった一つだけの花」などと、絶対的で、普遍的な価値であるかのように讃えられている自我意識のことである。夏目漱石が「私の個人主義」といって讃美した、近代的な「私」のことでもある。日本人は、江戸時代後期から明治維新にかけて感染したが、それは今でも増殖し続けている。近代的な「私」は、理性を信じ、科学的合理主義を信奉し、歴史の進歩発展を信じ、目標を立てて努力することを美徳と考える。一度きりの人生をかけて、自己の実現に励むことを第一の生きがいと考えながら、個人を超えた世界の普遍的原理を信じ、個人という私が全ての出発点だとも、私が神だとも考えている。
私が言う「無私」とは、全ての出発点としての孤立した純粋な「私」が無いということである。
「無我」「無心」ともまた違う概念である。それは関係のなかで生まれる「私」のことである。
(つづく)
2018-01-12 12:37:30



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