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近現代書批判序説 ―「無私」の美―1

  • harunokasoilibrary
  • 2025年11月17日
  • 読了時間: 5分

 昨年書いた論文「近現代書批判序説 ―『無私』の美―」を何回かに分けて掲載していきます。

 私の目前にある、幼児(6歳)の書いた「光」(図版)には底知れない魅力がある。これは私の住まいの襖に書かれたものである。私は20年ほどの間、ほぼ毎日この書を見てきたが、見飽きることがないどころか、年々その魅力は増しているように感じられる。私は今まで多くの書を見てきたが、これほど魅力的な書に出会ったことがない。

 この書は、書について知識も実践経験もない幼児が、ただ面白半分に筆を振り回したものではない。この幼児は2歳になる前から筆で文字を書き、トメ、ハネ、ハライなどの運筆法や執筆法など書の基本をすでに4年ほどにわたり、ほぼ毎日指導を受け、学んできている。その意味で無心の書ではないが、この書の魅力の本質は「無私」にあると思われる。

 この幼児は、素直に指導者にしたがって一点一画の書き方を真剣に学び、どのような書きぶりが、力強く、生き生きとした、美しい文字を出現させるのかを体得しつつあった。指導者の書きぶりを見よう見まねで学び、上手に真似ることに喜びを感じていたように思われる。

 作品「光」の上部の余白は大変美しく決まっている。これは、襖を床に置いて書いたのだが、身長が低くて、大きく書こうと思っても襖の下半分に書くのが精一杯だった結果にすぎない。彼は、半紙などの紙に、上下左右の余白を考えて、できるだけ大きく伸び伸びと書く練習を積み重ねてきているので、習慣的に襖の中の文字の大きさを精一杯大きく書いたのであろう。

 図版では実物から受けるエネルギー感が半減しているが、見るほどにその豊かな動勢が感じられると思う。少し、その書きぶりの跡をたどってみよう。

一画目の、角度のない非常に素直な縦画は、天を仰ぎ見るかのように静かに書かれている。つづく二画目から三画目の点も一画目の縦画を受けて、入筆角度のない素直な点だが、筆脈が途切れないように意識して、ゆっくりとはね上がり、静寂のなかに絶妙な動勢が感じられる。四画目の横画では、角度のある起筆で力を十分溜め、勢いをつけて一気に収筆まで書き進み、その勢いを借りて角度のある起筆で五画目のはらい、六画目の曲りを書き上げている。最終画のハネ部は、文字全体を支えるかのように、力強く、余韻を残し、静かに撥ね上げられて第一画目の縦画に呼応するかのように終わっている。見事な書きぶりであるが、彼は、この分析のように意識して書いているわけではない。楽器の演奏を覚えた子供のように、書けることがうれしくて、ただひたすら書き方を書いているに過ぎない。私はここに「無私」を見る。そして、書の根源にある「書の美」こそ、この「無私」の美であると思うのである。

 この幼児の書いた「光」を導きとして、また、書に表れた書者の「こころもち」を観察の方法として、歴史上の書とその他の芸術に現れた「無私」を見てみよう。そして近現代の書が書の美の本質から外れ、書の未来に光を見い出し難くしてきたのだが、そのような書が未来を取り戻すことは可能なのか否か、書を学んできた者として、自戒を込めて検証し、以下、芸術一般と書の美の本質について検討を加え、たとえ微力でも書の活性化に寄与できればと願う。

 中国と日本の比較的初期の写経を見てみよう。

 一番左の図版は、中国六朝時代初期の写経の断簡の部分である。隷書と楷書が混じった書風だが、作者は、当時の標準書体を念頭に、祈るように書写しているようだ。写経生ではなく、一般人の筆になるものと思われる。真摯な「こころもち」で書かれている。

 次の図版は、中国唐代の「長安宮廷写経」中の「妙法蓮華経巻第二」(675年制作)の部分である。欧陽詢や楮遂良の楷書を規範として学んだ書のエリート写経生の筆になるものと思われる。このような職人的な能筆が唐朝には、ごまんといたのであろう。これは褚遂良風の書である。沈着冷静な「こころもち」が感じられる。

 次の図版は、飛鳥時代の写経の「金剛場陀羅尼経」の部分である。686年と制作年の明らかな日本最古の写経である。当時の書のスタンダードが欧陽詢や欧陽通の楷書であったと思われ、作者は規範通りに、丁寧に書いている。これは欧陽通風である。書写を専門にした書生が書いたものと思われる。

 次のは、「一切経・五月一日経」の部分である。奈良時代(8世紀)の写経。初唐の楷書風。隋・唐の楷書をお基準として学んだ写経生の作品である。写経生はジョブとして、一字いくらで文字を書いていて、誤字や脱字があると工賃から差し引かれたので、真剣にならざるを得なかったようだが、規範に従った文字を一心に書いたことには変わりない。これは、光明皇后が亡き父母の追悼と世の安泰や衆生の救済などを願って発願した一切経の中の一巻である。一切経の写経は総巻数7000巻にも及ぶ国家事業であった。奈良時代は官立の写経所を中心に写経が行われ、写経生の採用の基準には、美しい同じ調子の文字で巻末まで書ける能力が問われたという。

 次の図版は、平安時代(11世紀)の「竹生島経」の部分である。法華経方便品が書かれている。この頃は、小野道風や藤原行成の和様の書が基準になっていたと思われ、基準に忠実にきちんと書かれている。これは、写経生の筆ではなく、貴族の女人の筆のように思われる。

 一番右の図版は、平安時代〈12世紀〉の「一字蓮台法華経」の部分である。「一一文文是真仏」と考え、蓮台に仏像のごとく文字がのせられている。


これらの写経は、仏教の流布といった国家事業や個人的なご利益を願って、祈るように、書の規範に忠実に、真摯に書かれている。これらの書の「こころもち」は、先に紹介した幼児の作品「光」と同様、「無私」の書といっていいであろう。

(つづく)

2018-01-09 15:49:45

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