美しさについて
- harunokasoilibrary
- 3月31日
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私は以前、「自分を表現しようとは思わない」と書いた。これは舌足らずな言葉であった。誤解のないよう、もう少し考えてみたいと思う。
私の内(なか)には外にむかって誇るようなものは何もないと思われた。私には、恥ずかしい事でいっぱいの自己を表現するより、たとえ一時(ひととき)でも、翳(くもり)ない理想の世界で過ごしたいという思いがあった。卑しい自己を離れれば世界は美しいもので溢(あふ)れているように想われた。また、自己を顕示(けんじ)する個性を私は嫌悪していたにもかかわらず、それは私の中にもあった。だから、私は私という現実を忘れたかったのだ。
しかし、作品を書くのは私である。どこまで行っても、私が感じ考えた世界であり、私が選んだ線であり色である。世界は私がいなくても存在するが、私が書かなければ私の作品はない。私はしばしば、私以外の何ものかに作品を書かされているように感じる時があるが、その時でも私の躰(からだ)を通って表現は成されるのであるから私ぬきには作品は在(あ)りえない。私の制作には、どうしても、私という存在が不可欠である。私はやはり、自分を表現しているのであろうか。まだ何か釈然としない。
ところで、夏目漱石は「芸術は自己の表現に始って、自己の表現に終るものである。」(「文展と芸術」岩波全集第十六巻)と書いている。ここでの「自己の表現」とは、自己顕示とは違う。つづいて漱石は、別の言葉で言いかえ「芸術の最初最終の大目的(だいもくてき)は他人とは没交渉(ぼっこうしょう)である。」と言う。さらに説明して、「親子兄弟は無論(むろん)の事、広い社会や世間とも独立した、全く個人的のめいめい丈(だけ)の作用と努力に外(ほか)ならんと云(い)うのである。他人を目的にして書いたり塗ったりするのではなくって、書いたり塗ったりしたいわが気分が、表現の行為で満足を得るのである。」と言う。そして、「徹頭徹尾(てっとうてつび)自己と終始(しゅうし)し得ない芸術は自己に取って空虚(くうきょ)な芸術である。」と言う。
自己という篩(ふるい)を通してしか表現はあり得ないという意味で、芸術とは自分を表現することであると、今、私は考える。卑しく貧しい自分を嘆くのは私が精神的に老化したからかもしれない。表現をする者は心が老化してはいけないのだ。已(や)むにやまれぬ、心底(しんそこ)から突き上げてくる想いにしたがって、考える前に跳ばねばならないのだ。自己を否定する力に抗して闘わなければならないのである。無能な自己に気づいても自己の生命(いのち)を肯定しなければならないのだ。無能とは世間の役に立たないというほどの意味である。無能な自己を否定することは、同じように無能な他の多くの生命(いのち)を否定する事である。それは出来ないことである。
無能な恥ずかしい自分を凝視(みつめ)ることは苦しいことであるが、表現者はどんなに苦しくとも、表現を通して自己を凝視(ぎょうし)し、自己にこびり付いた汚(けが)れを洗い流し、自己をつくりかえ、本当の自己に到(いた)らなければならないと私は思う。自己表現とは、自己にとらわれて上(うわ)っ面(つら)の自己を顕示することではなく、本当の自己に気づくための闘いである。それはまた、本当の美に到るための闘いである。
「自己を表現する苦しみは自己を鞭撻(べんたつ)する苦しみである。乗り切るのも斃(たお)れるのも悉(ことごと)く自力のもたらす結果である。」(漱石「文展と芸術」)
私は、美に生きる者である。美を製造することを職業にしているものである。だからといって美に通じているとか、筆を揮(ふる)えば必ず美を製造できるとか、天地がひっくり返っても美の先生ですとか、そのような御免状(おめんじょう)をだれからも戴いている訳ではない。また、誰がそのようなだいそれた免状を出せるというのか。むしろ、美を職業にしている人間なんて者はほとんどが食わせ者だと思ったほうがよいだろう。
「良寛上人(りょうかんしょうにん)は嫌いなもののうちに詩人の詩と書家の書を平生(へいぜい)から数へてゐた。(略)それを嫌う上人(しょうにん)の見地(けんち)は、黒人(くろうと)の臭(にほひ)を悪(にく)む純粋でナイーブな素人(しろうと)の品格から出てゐる。」(漱石「素人と黒人」岩波全集第十六巻)と漱石は言う。品格が美を生むのだ。品格は技術の鍛錬(たんれん)のあとに生まれるものではない。技巧を凝(こ)らせば凝(こ)らすほど品格から遠のくものである。
本当の芸術家は「純潔(じゅんけつ)な懐(ふところ)を抱いて、無我無欲(むがむよく)に当面の仕事を運んで行くのである。」(漱石「文展と芸術」)
凡人には少し酷かもしれないが、他者(ひと)の顔色や作品の価格や流行(はやり)ばかり気にする人に品格が宿るはずもない。
「自己には真面目に表現の要求があるといふ事が、芸術の本体を構成する第一の資格である。」(漱石「素人と黒人」)
私は、漱石に共感する。良寛さんの「純粋でナイーブな素人の品格」を忘れないようにしたいと思う。上手(じょうず)になることよりも、自分の本当の要求に忠実に従いたく思う。この世間では難しい生き方かもしれないが、せめて表現する時だけは、そのようにありたいと思う。
(2004年12月・会員つうしん第75号掲載)

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