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声・聲

  • harunokasoilibrary
  • 4月29日
  • 読了時間: 4分

更新日:5月31日

タイトル

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 誰もいない午後、ガラス戸越しに射す冬の光は暖かい。ときおり車の音や様ざまな生活音が聞こえてくるが、仕事に専念しているぼくのこころは閑(しずか)である。座って書き物をしていることさえ忘れて、意識が、時間(とき)も空間も質量(しつりょう)もない、瞑濛(めいもう)とした世界に浮遊し始めたころ、「チッチッ。チッチッ」と細く澄んだ小鳥の声に、ふと現実(うつつ)にひきもどされた。声の主を見ようと立ち上がった途端、鳥はどこかへ飛び去ってしまった。小鳥は小さな声で激しく鳴いていたが、誰かを呼んでいたのであろうか。

 何年か前、何年も可愛がっていた小鳥が病気になって、止まり木の上で震えていた。ぼくが助けようとして静かにつかんだとき、ぼくの掌(てのひら)の中で満身の力をふりしぼり、挑みかかるような大声を出し、その直後に息絶えたことを思い出す。あの時の鳴き声は死に抗(あらが)う断末魔(だんまつま)の叫びだったのかもしれないし、無理解な飼い主への訴えだったのかもしれないが、本当の意味はドリトル先生にしか解らないことなのかもしれない。

 「声」は、もと「聲」と書いた。「聲」という字は、甲骨文字にある。「殸(けい)」は「磬(けい)」という石製の打楽器を打つ形で、その下に「耳」を付けて、その音のことを「聲」といったそうだ。そこから「聲」は「磬の音を聴くこと」を意味するようになったらしい。「声」は人の声ではなかったようだ。太古の人は、神に祈り、磬を打ち鳴らして神を招き、そして神の声を聴いたようである。今から三千数百年前の甲骨文字の時代では、音楽は娯楽ではなく儀式にともなう切実なものであったようだ。

 「声」という文字が出来るはるか昔、人類が最初に声を発したときがあったに違いないが、それはどんな声であったのであろうか。この声は「言葉」にもならない言葉以前の叫びのようなものであったのであろうか。

 文字は五千年ほど前に誕生したに過ぎない。これからさき新発見があるとしても、数万年は遡らないであろう。人類の歴史は数百万年もある。声という文字は神の声であったが、神が出現する以前に鳥の鳴き声のようなものが、人の間にあったと想像するのが自然なことであろう。それは、小鳥を観察すれば分かることである。つがいの発する仲睦ましい鳴き声や危険がせまったときに発する威嚇するような叫び声など、声を発しない動物はいないであろう。魚は無言のように見えるけれど人間には聞こえない声を発しているように思う。植物はどうであろうか。菌類はどうであろうか。ぼくには分からないが、人や鳥の声のようなものを木も草も発しているのではないだろうか。少なくとも、動物とは、声を発する生き物であると、ぼくは思う。

 叫びに近い人の声は、何百万年もかけて現代の言葉に進化したのであろう。またその言葉には人にまで進化する以前の何十億年の生命の歴史が刻まれているように思われる。生命は生きつづけるために多様な形に進化して人へ何かをバトンタッチしたのではないだろうか。その何かは、人以外の存在にも伝えられていると、ぼくは感じている。

 人の卵子は受精してから、わずか一年足らずの間に、生命数十億年の歴史を経験し、人は誕生する前から世界の音を聴いているようだ。その音は声といってもいいのではないだろうか。誕生した赤ん坊は目を開き人の声に目を輝かす。声を発する母の口元を凝視する赤ん坊の目の輝きは、人が生まれながらにして、学ばずにはいられない生き物である証しである。本当には分からないことではあるが、赤ちゃんは生命(いのち)にとって何かとても大切なことに出会って、初めて声を発するのではないかと、ぼくには思われる。

 一歳のこどもに鉛筆と紙を与えると、何かぶつぶつ言いながらなぐり書きを始める。何を言っているのかまるで解らない。書かれたものもただの線や点の集合であり、具体的な物の形を判別することは出来ない。しかし、二年ほどなぐり書きが続くなかで、声が言葉らしきものに成長するにつれて、物の形が大人にも判るように現れてくる。

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 こどもの成長を見ていると、声と言葉と文字を獲得していく人類草創期の歴史が、そこに反復されているように、ぼくには思える。こどもは、自分の周りにいる自分を育ててくれる人たちに自分の思いを伝えようとして、それが伝わるまで、何年もかけて、自分の声を作り変えているのではないだろうか。それと同じように人類は、言葉を研(みが)き文字を研き、生命(いのち)にとって本当に大切なものを共有するために書き続け、話し続けてきたのではないだろうか。人類とは、自分の声を作ろうとする一人ひとりの営みが集合されたものであると、ぼくは思う。世界を理解し、それを語り伝え、そして共有するために人は自分の声を作り、さらによりよい声を作るために人は文字を書き続けるのではないであろうか。

(2008年12月・会員つうしん第99号掲載)

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