2009年書き初め大会感想
- harunokasoilibrary
- 4月30日
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更新日:5月31日
今回も多くの参加者があり、その表現への熱意と、それらの多様な表現に、書の無限の可能性を感じ大いに励まされました。いささか陳腐(ちんぷ)な「寿」という課題でしたが、この使い古された言葉を、とりたての野菜のように新鮮な、瑞瑞(みずみず)しい作物にされた方の感性と技量に感心もいたしました。また、慌ただしい暮らしのなか、表現力を鍛える機会を逃さず参加された方がたの賢明さを頼もしくも思いました。
さて、表現力は普段の学習の量と質の高低によって決定づけられます。かんちがいして、小さな山ひとつ登頂できず、何年たっても同じ所をぐるぐる廻っているようでは仕方ありません。考え方、取り組み方の間違いに気づきさえすればどんな高い山でも必ず登頂できるのです。そこで、昔から書道学習の常識とされていることをいくつか述べてみましょう。
1、 一度にたくさん習っても効果はない。
手本に忠実に(一点一画の筆づかいや字形や字配りなど)少なく習って(半紙に5~6字ほど)、手本を見ないで書いても(背臨)手本そっくりに書けるように習い込んでから次に進むほうが上達する。
2、自己批正をきびしくせよ。
自分の短所を知ること。これ以上書けないというところまで書いたものを始めて添削してもらうようにする。それによって、自分の限界を少しずつ越えて行ける。
3、古典臨書は形臨(けいりん)から意臨(いりん)へ
基礎的な力を身につけ、書の理論も一通り理解できたら古典臨書に進みます。臨書では1と同様一点一画の形から字形を忠実にまねることが大切である(形臨)。見た目にそっくりに書けることが基礎体力になる。急がずしっかり学ぶべし。しかし、形臨は書の命ではなく基本、骨格にすぎない。臨書の価値は意臨にある。一点一画と字形に込められた筆意(ひつい)や風韻(ふういん)を十分に学びとり、これを表現し得てこそ血のかよった生きた書になり、鑑賞に値する作品になる。
考え違いをしてはいませんでしたか。それに気づいた方は、今から改めて、山を登りましょう。たとえ趣味の書道であっても、書を真剣に学んできて良かったと思ってほしいと、私はこころから願っているのです。汗をかいて、清清(すがすが)しいこころで頂(いただき)に立ちたいものです。
(2009年2月・会員つうしん第100号掲載)


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