第26回野のはな書展 鑑賞6 安達昌子書「花々は咲き尽くさんと花の寺」(伊丹三樹彦)「さびしくなったら」(柴田トヨ詩集「くじけないで」より)
- harunokasoilibrary
- 6月30日
- 読了時間: 2分


強弱のリズムで書かれています。字形はふところを広く取り、優しく抱擁するかのような雰囲気を感じます。線は細いけれど、温かく、こころ濃やかな線ですねぇ。最後の「花の寺」のところ、やや不安定に見えますが、どことなく優美な姿ですねえ。
俳句は、説明をしませんから、書としては表現の幅がひろくとれるので多様な表現が可能かもしれません。この俳句は、何が言いたいのでしょうか。解釈は自由でしょうが、できましたら、作者の作句の意図を知りたく思いますねえ。そのうえで自由に解釈して書作品にしたく思います。夏の終りのツクツクボウシのように、短い命の限り生きようとする生命の哀しみを歌った詩なのか、喜びを歌ったものなのか。ただ咲き誇る花の美を歌ったものなのか。さまざまな表現が考えられますねえ。面白いでしょうか。もっと深刻かも知れませんが。

このような散文詩は、書など必要ないかも知れませんね。詩(言葉)の意味が第一でしょうから。それでも、この詩の切実さや優しさや寂しさや母への想いがこもった書の表現は可能でしょう。書は音楽のように感情に訴えるものですから、表現の方法を考えねば難しいでしょう。いまだに、言葉の意味のことばかり気にする人がいるのは、情けないことだと思います。私が思ってるだけですから、勘違いしないでください。意味を考えるのは当然です。それだけではだめだ、と言っているのです。
安達さんの表現は作為が希薄で、嫌味がなく、素直で好感が持てます。詩にスーと入っていけるところが良いのかも知れませんねえ。
2020-09-05 16:49:31



コメント