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第14回野のはな書展(2008年5月6~11日)

  • harunokasoilibrary
  • 5 日前
  • 読了時間: 5分

ごあいさつ


今回も、自由と平和を制作と出品の基調にしました。

表現の自由。生き方の自由。そして、

自由ということの欺瞞。

平和のありがたさ。平和への願い。そして、

平和であることへの疑い。

いまだ世界は平和でも自由でもありません。本当の意味で。

 

言葉と文字の力を頼りに、出品者ひとりひとりの

自由と平和への思いと、静かなひととき対話されることを願っております。

 

春 野 か そ い      (出品目録掲載文)

 



第14回野のはな書展感想


 大聖堂のように天井の高い広々とした空間が与えられ、私は遊びに夢中な子供のように喜喜として、大きくて重たい移動壁面を、迷路を組み立てるように置いてゆきました。

 周囲の白い壁面が使えないのが残念でしたけれど、何日も前から、春汀さんに用意してもらっていました展示室と移動壁面と展示作品の五十分の一の立体模型を、思いつくままあれこれ並べて遊んでいましたから、ほぼ予想どおりに展示できました。

 空間や壁には大きさや広さに応じた力があるので、その力に負けないような作品を作らなければならないと以前から誰からともなく聞きもし、また私自身も若いころ意気揚々と作品を出品し、無残にも壁と空間の力に負けまして、その作品が展示された部屋に入ったとき、そのあまりにも貧弱な存在感のなさに血が引くような思いをし、すぐ作品を取りはずして持って帰りたいと思った恥ずかしい経験がありましたから、比較的小さな野のはなの作品たちが来場者に笑われるのではないかと心配もしていたのです。しかしその危惧は不要でした。

 空間の力に負けないために大きな作品を作ったりするわけですけれど、大きくなければならないかというと、そうではありませんね。ずいぶんむかし、私は、寸松庵色紙を博物館で観たときに、あの十センチ四方くらいの小さな作品が周囲の広い空間を朱色に染めていたことを知ってもいたのでした。私が若いころ失敗したのは、大きさではなく作品の持つ芸術的な深さが足りなかったのだと、今思います。しかし、大きな作品には、会場芸術とけなされようが、大きくなければならない理由があるのです。それに、ある大きさの限度を越えますと作品の次元が違ってもくるのです。それはロスコの作品や空海の請来した曼荼羅やシスチナ礼拝堂の宗教画を思い描けば解るでしょう。


 さて、私の立体模型遊びには、遊びを主動する考えがありました。

 それは、一人ひとりの作品を他と切り離して独立させるということでした。

 多くの展覧会では、古いヨーロッパの絵にある画商のギャラリーのようにたくさんの作品がずらりと陳列されています。それはそれで、にぎやかな縁日の市のようで楽しいのですけれど、一人ひとりの作品はそれぞれ響が違いますから、静かな曲の隣で激しいロックが鳴っているようではとても鑑賞など出来たものではありません。それで、私はこの機会にぜいたくな展示をしてやろうと決めたのです。前回展では回遊式庭園を思いつきましたけれど、今回はアトランダムに、できるだけ壁面どうしがぶつかり合わないように並べることにしたのです。そして、誘導する順路をなくし、鑑賞者が自由に動き、それぞれがぶつかり合わないで、出来るだけ一人で作品と対話できるようにと考えたのです。そのことに不親切を感じたひともいたようですけれど、多勢はゆったりと鑑賞できたのではないでしょうか。

 

 書きぶりに特徴の出てきた、何人かの出品者の旧作を、数点選び、出品してもらいました。会場でそれを観て、あらためて自分自身に気付いた人もあるのではないでしょうか。それを選んだ私自身も、会場で、あらためて、一人の存在の重さを感じたのでした。

 ゲストで参加いただいた空あかねさんと衣川雅子さんの作品は、それが書であるとかないとかはともかく、大変魅力あるものでした。

 深い想いが込められた自作の詩(ことば)を書くことに、私たちは学ばねばならないのではないでしょうか。

 空あかねさんが自作の前で、頭の部分だけでしたけれど、シャンソンを歌ってくださいました時の、唄と色と書が一つに溶け合ったような一瞬を、私は、うっとりと思い出します。

 やはりゲストで参加いただいた多田芳江さんの「道」は、小品ながら、強力な意志を感じる作品でした。私たちを叱咤(しった)激励(げきれい)してくださっているように感じました。

 書展は、一つの、世界のモデルだと、私は思います。だから、書展のありようが大事なのです。そのありようが本当に新しくなければ、あまり意味がありません。新しさが珍しさを生み、珍しさが人間性を活性化し、心を躍らせるのです。一つ一つの作品が他の邪魔をしないこと。しかもそれぞれが孤立していないこと。上手下手を競う技術コンクールではなく、本当の意味での芸術であること。支え合うと同時に一人立っていること。無自覚に参加しているかたもいるでしょうけれど、二度と繰り返すことのない生を、一所懸命生きていただきたいと願っています。まだまだ適切な言葉が決まりませんけれど、多様性の中の統一と秩序が大切だと反省しています。

 

 野のはな書展のありようは、空あかねさんが贈ってくださった詩に端的に表現されています。交流会でそれを朗読して下さったとき感じた感激がいつまでも続きますように。

 

(2008年6月・会員つうしん第96号掲載)

 
 
 

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