植田春汀書作展 鑑賞6「行春や鳥啼き魚の目は泪」(芭蕉)1996年制作、半切
- harunokasoilibrary
- 7月12日
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春汀さんの初個展の年、私の知りあいの表具師さんから、友人がギャラリーを開設したので、個展をしませんか、という話が舞い込んできました。招待でも企画展でもありません。個展など考えてもいなかったのですが、まんまと乗せられてしまいました。春汀さんの個展の影響もあり、この年の秋、私も初個展をしたのです。私の教室にはたくさん門人らしき者がいたのですが、誰一人手伝う人はいませんでした。私も、手伝ってもらいたい人は、門人らしき者たちのなかには誰もいませんでした。私と門人らしき人達との間の断絶は、すでに収拾がつかないほど深いものになっていたのだと、今思います。しかし、春汀さんはもちろん、春汀さんの教室のTさんとM・Mさんが、仕事で忙しいにもかかわらず、献身的に手伝ってくれました。それ以来今日まで、このお二人には、何かと手伝ってもらっています。このお二人がいると、私は安心でき、嬉しくなるのです。信頼できる方達に出会えて、私は今日まで救われてきました。それも、春汀さんの、私に対する愛が、お二人に伝わったからだと思います・・・・・・。
私の事は、これまでにして、春汀さんの作品を鑑賞しましょう。
「ゆく春や とりなき うおの目はなみだ」は、芭蕉46歳のときに詠まれた句です。旅立つ別れを惜しむ詩です。当時の平均寿命が50歳未満ですから、死を覚悟した旅立ちだったのでしょう。『奥の細道』に収録されています。家を他人に明け渡しての、東北と北陸の旅です。
春汀さんの作品は、澄んだ明るい余白のなかに、悲しいくらいスッキリと、穏やかに書かれていますねぇ。
初句の「行春や」は、長い点画と短い点画の対比が際立っています。心地よい緩急のリズムが、墨の濃淡になって表れています。字形はバランスよく安定していますねぇ。長短の点画の対比が、別れの悲しみと、春のさきにある新しい世界への、旅立ちの希望を、さりげなく、切ないくらいに表しています。切れ字の「や」の姿は、芭蕉の感動をよく表していると思います。
次の「鳥啼き」は、やや速筆で、悲しみより、明るい楽しみが、回転する運筆に表されていますねぇ。
最後の「魚の目は泪」は、「魚の目は」までは前の句を引継ぎやや軽く書かれていますが、最後の「泪」で墨つぎをして、ややバランスを崩した字形が、やはり、別れの悲しみを、しずかに表しているように感じます。
芭蕉は、芭蕉の時代と日本の現実のなかで、この句を詠み、春汀さんは、現代日本と世界の現実のなかで、この句を選び、この書を創造したのです。作者の個性だけでは、芸術作品は説明できないのです。
2020-02-18 15:25:04



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