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植田春汀書作展 鑑賞3 「いとおしい」

  • harunokasoilibrary
  • 7月12日
  • 読了時間: 2分
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 これを観て、大変やさしく感じる人が多いことだろう。それは鑑賞者のかってだが、この作品は、そんなセンチメンタルなものではない。発想は御本人のコメントにある通りだろうが、発想からどのくらいの発酵期間を経てこの作品は誕生したのだろうか。極度の緊張感のある構成である。「静中に動あり」というか、宇宙の象徴である紙面の中心に、微動だにしない、まるで永遠の日輪のように、暖かく燃えあがる文字が浮かんでいる。濃墨の「お」が、その周囲の淡墨を生命ある何ものかに変容している。各点画は、これ以上ないほどに、ゆっくりと、思いを込めて書かれている。「いとおしい」は、ただのことばに過ぎないが、書になることによって、書のことばに変容し、深い作者の思いや感情を表す、ことば以上のことばになっている。

「春汀さんには、自分のことばがない、だから、人のことばばかり書いてはる。」といった、愚かな誹謗中傷をした人がいたが、この評は、評ともいえないが、悪意から出た偏見以外の何物でもないだろう。

自分のことばなど、どこにあるというのか!ことばは、社会的なものだ。自分のことばで語っているつもりでも、ほとんどが社会で生まれたことば以外の何物でもない!自分のことば、自分のことば、という輩は、自分を、いっぱしの詩人とでも思っているのだろうが、それは、とんでもない、自惚れた愚か者の言に過ぎない。

この、春汀さんの「いとおしい」こそ、誰にも真似のできない、春汀さんの「ことば」である。


春汀さんの作品集のご自分のコメントを転載しておこう。

「相模原市の障害者施設で起きた事件は施設で暮らす弟のいる私にとって衝撃的でした。障害のある万年幼児の弟が施設から帰省してきたとき、私はいつも癒されています。お正月、その弟の傍らで心にあふれた言葉です。この思い、存在するものすべてに向けられたらなあ・・・」

2017年制作。

2020-02-15 14:04:56

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