植田春汀書作展 鑑賞2 「そこにいて」「ここにいるよ」
- harunokasoilibrary
- 7月12日
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7年ほど前に、この作品を見たときの印象批評(批評にもならない感想)をここに再録しておこう。
「簡素にすっきりと構成された作品である。それは寸松庵色紙や継ぎ色紙にも通じている。余白は計算され、文字群の配置はピタッと決まっているが、神経質さはかけらもなく、ゆったりとした生きた空間を形造っている。二つの言葉は、雪の上の足跡のようにも、風の中をさまよう木の葉のようにも見える。無駄を省いた渇筆の線は、淡墨で、凸凹のある滲みにくい紙に、擦りつけるように書かれ、抒情的な雰囲気を創り出している。すべて平がなで書かれた表現は等身大であり、思想や哲学や世界観などと、大上段に構えたものではない。言うまでもなく、かなの一字一字には意味はないが、内面的な強さと悲しみを秘めた、平がなと日本語のリズムが、細かく振動しながら、風化しつつ、柔らかい線質として、優しく表現されている。この作品を見ていると、「いて、いるょ」と、果てしない空間を、二人の会話が、時を越えて、永遠につづいて行くように感じ、このような会話で時空が満たされているような幻想を持つ。これが、もしかしたら、宇宙に満ちているものの正体かもしれない。幻想が幻想を呼ぶ。」
春汀さんは、自己顕示欲がないとはいわないが、自分から個展をするなどと言う人ではない。今回も、私が、ふっと、気がつけば、春汀さんの最初の個展から20年も過ぎていることに気づき、あまり乗り気でない春汀さんを説得して、江山文庫にはなしを持ちこんで実現した個展なのである。
個展のタイトルも決まっていない、ただ、江山文庫から「墨春」展なんてどうか、という意見はあったが、バカ野郎と思ったおせっかい焼の私が、「水茎春秋―そこはかとなく・淡淡と」と春汀さんを象徴するタイトルを考えたのだが、結局、文庫側は何も相談せず、「そこはかとなく・淡淡と」を削って、分かりやすく陳腐なサブタイトルに変えて案内ポスターを作ってしまったのである。バカ野郎が!
春汀さんは、プロフィールに、私に師事したとかいていたが、そこは、削ってもらたようで安心した。
私には、弟子などという者は一人もいない。一番弟子などとたわけたことをいう者もいるが、笑い話である。仮に、弟子をとるとしても、そう簡単に弟子になれるものではない。私が、余程気に入らなければ門人にすらなれないのだ!
今回の個展の作品集から、御本人の作品に対するコメントを転載しておく。
「親と子はお互いにかけがえのない存在だということに、父が亡くなる直前まで気がつきませんでした。
孤独に心を傷めることの多い世の中、身内でなくても、「助けて」という声なき訴えに心を傾けられる人でありたいと思います。約一年半あたためて、ようやく作品になりました。」約55×76.5㎝ 2012年制作
2020-02-15 12:39:40



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