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植田春汀書作展 鑑賞26 「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見るとき」(橘曙覧「志濃夫廼舎歌集」より)

  • harunokasoilibrary
  • 7月12日
  • 読了時間: 3分
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 一目見て、清清しく、爽やかで、いきいきした、清新の気といいますか、新鮮な朝の空気を感じます。変な言い回しですが、気品のある朝といいますか、綺麗に澄んだ明るさのような、弾んだ音楽のような、今、この文を綴りながら聴いている、モーツアルトのヴァイオリンソナタのような、

明るい悲しみのような、あー、僕の言葉では表現できませんねぇ。すっきりと澄みわたり黒々とした墨色が大変魅力的ですねぇ。モーツアルトのヴァイオリンソナタの、あるフレーズのように、気持ちがふるえるような、抑揚の心地よさを感じます。

 手で千切られた紙の輪郭に沿うように、行頭が緩やかに上昇し下降しています。行脚はテンポよく上がり下がりを繰り返しながら、紙の輪郭に沿うように緩やかにカーブしています。最後の「時」が、アクセントになり、すべてに命を吹き込んでいます。

 一字一字は、楽器を奏でるかのように、強弱、線の細太、緩急の変化がリズミカルに繰り返されています。太く滲んだ点画と、対照的に針のように細い点画が、安物のバーや飲み屋なんかの看板によくあるような、下品で卑しい嫌味が全くありませんねぇ。澄んだ、明るい、爽やかな、春汀さんの心もちが伝わってきます。

 字形は、文字の最終画を、力を入れず、軽く弾むように止める書き振りによって、柔らかく、軽やかな響きを奏でています。今時の言葉で言えば、「かわいい」と言うのでしょうか。しかし、弱く見えないのは、ところどころに散らばっている、「の」や「見」の最終画が強く書かれているからです。それは、寸松庵色紙の書き振りと同じですねぇ。

 表具は、春清堂の田端彰子さんの仕事ですが、表具が作品の良さを引き立てるように脇役に徹していますねぇ。本紙がカッと穏やかに輝いて見えます。そこに表具の静かな存在感があるのです。

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 この歌は、橘曙覧(たちばなあけみ)の『志濃夫廼舎歌集(しのぶのやかしゅう)』のなかにある「獨楽吟(どくらくぎん)」の一首です。「志濃夫廼舎」は、曙覧が晩年住んでいた草庵の家号です。曙覧は江戸末期から明治元年まで生きた歌人です。近代歌人の先駆者ですね。

 随分前に、私の母が、曙覧が好きで、この「独楽吟」の中の一首を書作品にしたことで、私は、少し曙覧を知ったのです。その頃の私には、曙覧の歌のように日常生活のこまごまとしたことを何気なく歌う歌は、もう一つピンときませんでした。私は、革命だ、変革だ、思想だなんて事ばかり考えていたようでしたから。それだけでもありませんが、まー何かにつけて大袈裟でしたから。

 


 母が、曙覧の歌に共感して、本当に楽しく、また創作の苦しみを背負いながら頑張っていた姿が忘れられないですねぇ。書展の一日が終わる度に、春汀さんと三人で、春汀さんの運転する車に乗って、お互い疲れて家路につく途中で、安いうどんなんかを食べて、談笑し、毎日毎日楽しく過ごしたことが走馬灯のように甦ってきます。夢のように過ぎ去った日々です。そして今があるのですねぇ。


春汀さんの作品集から御自身のコメントを転載しておきます。

「橘曙覧は万葉調の生活歌を詠んだ江戸時代末の歌人だと春野先生のもろもろ塾で学びました。日常のさりげない喜びが平易な言葉で綴られ、「ある、ある」と共感できてほほえましくなります。」 2015年制作

2020-03-13 12:35:18

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