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植田春汀書作展 鑑賞24 「自作詩」2014年制作

  • harunokasoilibrary
  • 7月12日
  • 読了時間: 3分
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生きていると

いうこと

それは

地球が回っていると

いうこと

だれも

止められない

みんなおなじ


 春汀さんは、あまりたくさん書かない人です。何枚もやり直しをしないということですが、推敲をしないという事ではありません。私は、何枚も書いて、たいていは最後に良いものができますが、春汀さんは、私と逆ですねぇ。たいてい最初のほうの作品が一番のようです。しかし、この作品のような、全体から細部まで計算し尽くした完璧なものが、一枚で書けるとは思えません。一見、何の変哲もない、整った、おだやかな普段の字のように見えますが、よくよく観察してみますと、書法の創意工夫が行き届いています。



 全体から受ける感じは、草木が大空に向かって伸びていくような、明るく澄みきった風景画のようです。それは、余白の分量と縦に伸びる長短の行の構成によるところが大きいでしょう。

 全体で8行(印を入れれば9行)ですが、行脚が綺麗な鍋底になっています。これは寸松庵色紙などと同じですね。行頭は、1、2、3と下り、4で一気に高く上り、5、6と下がり、7、8と上り、8は中庸な位置に書かれています。7行目までの各行は、だいたい上大下小の構成になっています。これは、王羲之の字の構成と同じで、大変安定感がありますねぇ。8行目は、字粒がそろっていて、他の行と違っています。各行の字の大小の変化を見てみますと、作者の声の大きさと比例している事が分かります。「生きている」と大きな声で、「ということ」とつづき、「それは」と、やや大きくなり、「地球が回っている」と最大の声で、「ということ」と、やや小さくなり、「だれも止められない」と、祈りのように内部に向かって最小の声で、「みんなおなじ」と、晴ればれとした、確信に満ちた声で締めくくられていますねぇ。まさに、このような書き振りが、鑑賞者に、音楽や色彩を感じさせるのでしょうねぇ。

 さらに、変化と統一の工夫が行き届いています。5個の「い」、4個の「と」、2個の「る」、3個の「な」、そして、2個の「う」、「こ」、「れ」、すべて重複するものは、字形を変えて書かれています。

 「地球」の「地」は横に長く、「球」は6画目の縦画を細く長く、「地」と対照的に構成されています。その「球」の真直ぐな縦画に呼応するように、「生」、「れ」、「と」、「と」、「止」の縦画が垂直に書かれていますねぇ。「回」は、曲線で構成され、変化を作っています。横線、ˌ縦線、直線、曲線と抽象的なコントラストの原理が貫いていますねぇ。

 点も全て、同じものがなく、変化に富んでいます。その点と、墨の潤渇の変化、点画の肥叟の変化が、装飾音のように作品に潤いを与えているように私は感じます。

 「生きているということ それは 地球が回っているということ だれも止められない みんなおなじ」は春汀さんの考えた言葉ですが、それはただの言葉にすぎません。誰が言っても、書いても、同じ言葉にすぎません。「ありがとう」も「感謝」も「愛」もそうです。どんなに美しく立派な言葉でも、それは言葉にすぎません。

 春汀さんの本当の言葉は、音楽のように、絵画のように、線で描かれた書の中に漂っています。書を見るとは、その言葉を感じとり、理解するという事なのだと、私は思います。


春汀さんのコメントを、その作品集から転載しておきます。

「養護学校に勤めていたとき、立つことも話すこともできない障害の重い子どもたちから、生きる力をもらいました。以来、人がよく口にする「生きる意味」とか「生きる価値」という言葉に抵抗を感じるようになりました。生きているということは自然の営みであり、人がとやかく言うことではないと思います。作品を発表した書展で、「谷川俊太郎さんの『生きる』という詩の中に〝生きているということ・・・地球が廻っているということ〟というフレーズがあると教えていただきました。どこかで聞いた言葉が残っていたのだと思います。」2014年制作 パネル 約120×90㎝

2020-03-12 14:41:23

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