植田春汀書作展 鑑賞22 (本阿弥光悦「古今集仮名序」原寸全臨)2013年制作
- harunokasoilibrary
- 7月12日
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春汀さんは、この光悦の書の、おおらかで伸びやかな仮名の姿に魅せられ、これを臨書したのでしょう。臨書は、まず、自分が、感覚的に、これは良いなあ、と感じなければ、あまり学習が進みません。自分が何も感じない芸術作品を、これは歴史的な名品ですから、好き嫌いに関係なくしっかり鑑賞するように、と言われても気が乗らないのと同じで、何も感じない古典を臨書するほど味気なく、苦痛なことはありません。しかし、以前にも申し上げましたが、芸術は好き嫌いだけで終るものではありません。その感動の因って来るところを分析したり、その作品の歴史的な意味などを、知性的に理解して、はじめて奥深い芸術作品の入口に立てるのです。しかし、芸術との出合いは、一目見て、何か身体がふるえるような衝撃から始まることは間違いありません。出発点は感じることです。
本阿弥光悦(1558年~1637年)は、桃山から江戸時代初期にかけての書の名人です。彼は平安時代の古筆や和歌など、伝統文化を愛好していました。書は、青蓮院流、上代様、空海や中国南宋時代の張即之などを学び、独自の書体である光悦流を確立しました。
光悦流が創造されるきっかけには大変興味深いものがあります。諸説ありますが、その第一は、俵屋宗達の絵との出合いでした。宗達の独創的で強力な下絵との合作において、その絵に負けず、さらに、絵も書も活かすためには、上代様の仮名では、弱すぎて調和しませんでした。桃山時代と平安時代の文化の気風の違いが大きいと思いますが、常識を破った新しい書が誕生しなければなりませんでした。光悦は、さんざん工夫して、絵の様な、装飾化した書を発明したのです。それが光悦流です。それは、徹底した造形的な作為の書です。藤原定家にも、造形的作為を、私は感じますが、光悦ほど自覚的ではないでしょう。光悦は、書を芸術にした数少ない書家の一人です。そして、光悦は、宗達と共に、尾形光琳へと続く琳派の創始者でもあります。
光悦が宗達の絵と、自分の書を調和させるために、どのような創意工夫をしたのか、臨書することで具体的に学び発見しなければなりません。そうすることで臨書によって、書の原理や歴史を学ぶだけでなく、現代の自分の創作に役立てることもできるでしょう。春汀さんの臨書作品は力作ですが、光悦の書の、おおらかで、伸びやかで、柔らかで、堂々として緩やかな運筆の意味を学んだでしょうか。そして、それを自分の創作に取り込んだでしょうか。ここに臨書された仮名序は、おそらく、光悦流が誕生した頃より数十年後の筆跡のようです。料紙も雲母を散らした高雅で質素な素紙です。宗達の下絵も版画もありません。絵と協奏した散らし書きもありません。これを書いた頃の光悦は、純粋な書だけで表現したかったのかも知れません。
光悦の詩書画篆刻一致の作品と光悦書状の問題は、また、機会があれば考察したいと思っています。
春汀さんのコメントを転載しておきましょう。
「こののびやかな仮名はとても解放的で、喜々としてとりくめました。」 2013年制作
2020-03-08 17:57:45



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