植田春汀書作展 鑑賞20 「津田左右吉のうた」 2010年制作
- harunokasoilibrary
- 7月12日
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津田左右吉(つだそうきち)の歌「明日如何に成らむは知らず 今日の身の今日するわざに我が命あり」が書かれています。
津田左右吉は、皇国史観を否定したが、天皇制維持を唱え、立憲君主制論者であり、反共主義者であった。といった事には関係なく、春汀さんは、彼の歌に感じる所があり、これを書いたのでしょう。知っていたら書かなかったかも知れませんけれど、津田左右吉がどんな人間であったか、なんて簡単に分かるわけがないでしょう。レッテルを貼って、よく分かりもしない人間性まで、ああだこうだと、思いこまないほうが良いでしょうねぇ。この歌は、津田左右吉の言葉ではないでしょう。どこにでもある月並みな言葉にすぎません。「明日のことは分からない、昨日のことは過ぎ去ったこと、生きている今という瞬間だけが、確かなことだ」は、普通の言葉といいますか、津田独自の言葉とはいえないのではないでしょうか。
春汀さんの書をみてみましょう。
春汀さんは、この字を、私の普段の字だと言っていますが、確かに、端正な字形や几帳面な字配りや紙面の均等な配置など、整理整頓の好きな春汀さんらしいところが散見できます。しかし、普段の字が、必ずしもその人の言葉になっているとは限りません。その人の癖が、その人の言葉ではありません。癖にも、その人の言葉の片鱗は現れているのかも知れませんが、その癖からその人の言葉を探ることは困難です。
この作品は、率意の書ではありません。よく考えて用意された書です。「日」という字が四つ出てきますが、すべて変えて書かれています。それは、「口」「の」「ら」「に」「今」にも見られます。また、様々な点の姿にも。墨つぎの位置と、それに伴う潤渇の変化。向勢を基調とする字形の中の隠し味的な背勢の字などなど。それらの作為が一体となった、温かで柔らかい線質と澄んだ明るい余白が、春汀さんの言葉なのです。言うまでもなく、書かれている言葉が春汀さんの言葉ではないのです。
下に春汀さん御自身のコメントを転載しておきます。
「2010年の書き初めに書いたものです。日々かみしめながら生きています。」
2020-03-02 10:43:12



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