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植田春汀書作展 鑑賞19 杉本達夫の句二句(短冊) 2008年制作

  • harunokasoilibrary
  • 7月12日
  • 読了時間: 2分
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 この句の作者は、春汀さんの叔父(御母堂の弟)さんの杉本達夫さんです。杉本さんは与謝郡で生まれた中国文学者です。老舎の研究家で、近現代中国文学を、『世界文学全集第45巻』など多数翻訳紹介されてきました。共編には三省堂の『デイリーコンサイス中国辞典』などがあります。著書には『句集上海随想大陸の追憶』、句文集『野路ゆるやかに』(2014年刊)、『日中戦期老舎と文藝統一戦線大後方の政治の渦の中の非政治』2004年東方書店刊などがあります。今は、早稲田大学名誉教授です。

 短冊に書かれた句は、『句集上海随想大陸の追憶』と、句文集『野路ゆるやかに』に載っている句でしょう。春汀さんから、このかたが中国で暮らされていた時のことなど、面白いお話を聞き、会ってどうなるものでもありませんが、会ってみたいと思ったりもしました。やはり、与謝の人らしく、俳句を詠まれるのですねぇ。この血は、春汀さんにも受け継がれていることでしょう。

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「雲の行く果てまでも菜の花畑」、大陸の景色でしょうか。菜種油を採るための畑でしょうねぇ。その油から上質の書画用の墨を作るのです。すぐ菜の花と聞くと、墨が浮かんでくるのは、職業病ですね。やはり、ここは、澄んだ青い空の下に限りなく広がる黄金色の世界、横に奥にどこまでも広がる地平線と澄みきった青空の重なりでしょう。ゴッホの麦畑の絵のような。否、ゴッホの青は不気味な気配がありますが、この句の色には希望しかありませんね。その感じは、春汀さんの、楽し気な、様々な点の表情に表れています。書では点画というくらいですから、点の表現は大事です。

「ひとり行く入日の坂のボケの花」、やはり北京か上海での句でしょうか。「ひとり行く」には、異邦人の孤独を感じます。いくら中国語に堪能でも、育ってきた風土が違いますから、真の友にはなかなかなれないでしょう。誰も待つ人のいない住み家にでも帰る道でしょうか。ふっと出合ったボケの花に、恋しい人か故郷を想い描かれたのでしょうか。何となく悲しい句ですねぇ。春汀さんは、大変やさしい筆触で「ひとり」「行く」と呟くように書いています。それは、「ひとり」と右寄せで「とり」を小さく、また、「行く」と「と」を小さく右寄せで表されていることからも感じるのです。つづいて、一気に、途中墨つぎがありますが、真直ぐ、「入日の」、「坂の」、「ボケの」とノスタルジーを振り切るように、流れるように書かれています。最後の「花」は、すべてを引き受けて、凛と立っていますねぇ。お見事!

春汀さんの書の言葉は、叔父さんの句への思いとは違っているかも知れませんけれど、それは、仕方がないことです。言葉とは、そのような、曖昧なものなのではないでしょうか。

2020-03-01 14:29:17

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