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植田春汀書作展 鑑賞14 藤原佐理筆「詩懐紙」臨書 2004年制作

  • harunokasoilibrary
  • 7月12日
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 平安時代中期の、書の名人藤原佐理(ふじわらのすけまさ/さり)が、969年、26歳のとき書いた「詩懐紙」(しかいし)の詩の部分を臨書したものです。

 実物は、縦32㎝×横45.2㎝の懐紙に書かれていますから、小さな字です。佐理は、三蹟の一人で、唐風の草書で有名ですが、この書は、小野道風の影響の強い和様の書です。公式の詩歌会で書かれたものです。当時、公式の場では、謹厳な和様で書いたようです。書かれている漢詩は、佐理の詠んだ七言絶句の春の詩です。平安時代の詩懐紙として現存する最古のもので、国宝に指定されています。


花脣不語偸思得。隔 (花びらは、ものを言わないけれど、思っている。)

水紅桜光暗親。 両岸 (うすべに色の桜が、水を隔てて、光りと親しんでいる)

芳菲浮浪上、 流鶯  (両岸の花の香りが水面にただよい、)

尽日報残春。    (うぐいすが、一日じゅう、春の名残を告げている。)


 春汀さんの臨書は、和様の特徴である、起筆は軽く、終筆は重いS字の運筆を良く再現しています。また、本物のほうは、どこか嫌な感じがしますが、春汀さんの臨書のほうは、和様らしく、暖かい落着いた感じがし、丁寧で整っています。佐理の書は、嫌な人間性が自ずと出ているのでしょうか。このようなものを臨書して何を学ぶのでしょうか。悩みますけど、私は、佐理だけでなく、小野道風も藤原行成も、なぜか、余り好きではありません。しかし、和様について、また平安時代や仮名について学ぶには、嫌いでも、避けて通ることのできない、学ばなければならない書ではあります。書道界には、臨書について、様々な考え方があり、一般的な考え方の一つに、形臨、意臨、背臨という学書形式がありますが、そんなものにこだわる必要はないでしょう。そのような形式は忘れて、目の前にある現象(古筆やお手本)に必ず本質が表れていますから、書いても書かなくても良いですから、現象を良く観察することがすべてだ、と私は考えています。つまり、形臨がすべてだ、と私は考えていますが、春汀さんの臨書は、単なる形臨でしょか。意臨や背臨などという嘘っぱちはやめて、ただひたすら写すなかに、自ずと書の本質がつかまれてくるのだと思います。この春汀さんの臨書は、それを証明しているように、私は感じます。

2020-02-26 09:00:20

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