植田春汀書作展 鑑賞13 「春の水すみれつばなをぬらしゆく」(与謝蕪村)
- harunokasoilibrary
- 7月12日
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私は、蕪村の俳句も好きですが、書も絵も好きです。特に絵が好きです。加悦までの、国道9号線から見える初春の景色を見るたびに、蕪村の風景画を思い浮かべます。春汀さんは不思議な所で生まれ育ったのですねぇ。加悦には、蕪村の御母堂の実家もあるようですし、その縁で、蕪村も丹後の宮津に、39歳から3年間滞在して、亡き母の故郷の加悦にも訪れ、
「夏河を越すうれしさよ手に草履」(丹後の加悦といふ所にて)など多くの句や絵を残しています。この丹後時代に、蕪村の絵の土台ができあがったと思われます。
蕪村という号は、陶淵明の「帰去来辞」のなかの「田園将蕪(でんえんまさにあれなんとす)」からとったものらしいです。「蕪」は、雑草が生い茂った荒れ野のことです。かぶらではありません。この与謝の加悦谷のことらしいです。少し今の現実の加悦谷とは違うと思いますが、江戸時代後半頃の加悦は荒廃していたのでしょうかねぇ。亡き母の身の上を想像し、蕪村は比喩として、ロマンティックに、号を「あれた村」と名乗ったのかもしれませんねぇ。母のことが慕わしかったのでしょうねぇ。
蕪村は大阪の生まれらしいですが、この与謝の自然が、彼の絵画の土台になっているように、私は感じます。

春汀さんの生家の与謝野町温江には、与謝野鉄幹の父の礼厳の生家もあります。言うまでもなく、鉄幹は、与謝野晶子の夫です。
春汀さんは、このような文人たちに影響を与えた自然や風土のなかで、生まれ育ったのです。それは、この扇面作品の書きぶりに影響せずにはいないでしょう。蕪村の絵にある、繊細で温かな雰囲気は、春汀さんと同じものですねぇ。蕪村の句は、絵画的で浪漫的といわれていますが、この句も、将に、絵を観るように光景が浮かんできませんか。扇面の上部の広い余白が想像をかきたてます。「春の」と「水」の対比、字の大きさと潤渇のコントラストが、ロマン的で感情の激しさを表しているようです。静中動の部分です。
下に春汀さん御自身のコメントを転載しておきましょう。
「子どもの頃田舎で、春になるとよく「つばな」を摘んで食べたものです。
この句に出会ったときそんな光景がよみがえり、懐かしくて書いてみました。」 2003年制作
2020-02-25 12:30:18



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