植田春汀書作展 鑑賞11 「この道しかない春の雪ふる」(山頭火)2000年制作
- harunokasoilibrary
- 7月12日
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この種田山頭火の句は、句集『草木塔』の中の「旅から旅へ」にあります。1934年(昭和9年)ころの作品でしょうか。その頃の日本も世界も戦争に次ぐ戦争の時代であります。山頭火は、そんなことに関係なく、否、関係がないはずがないのですが、坊主になって、あちこちを放浪しています。この句は、言うまでもなく自由律俳句です。私は、俳句も短歌もポエムだと思っていますから、自由律であろうがなかろうがどうでもいいのですけれど、少しは、形式も勉強しなければいけないと思ってもいます。以下に、この句を詠んだ頃の山頭火自身の言葉がありますから、参考までに省略していますが、引用しておきます。
「・・・昨年の八月から今年の十月までの間に吐き捨てた句数は二千に近いであらう。その中から拾ひあげたのが三百句あまり、それをさらに選り分けて纏めたのが以上の百四十一句である。うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。この意味に 於て、私は恥ぢることなしにそのよろこびをよろこびたいと思ふ。・・・・・・私はやうやく『存在の世界』にかへつて来て帰家穏坐とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。・・・・・・『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。
うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。 私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。(昭和九年の秋、其中庵にて、頭火)」

さて、春汀さんは、このような山頭火の姿を思い浮かべて、この書を作ったのでしょうか。私は、そんなことはないと思います。この言葉そのものに惹かれて何となく書いたのではないでしょうか。山頭火なんてどうでも良かったのだと私は思います。
書きぶりを見てみましょう。

「この道しか」までは、紙の真ん中に、ほぼ真直ぐに、筆圧も墨色も、強く太く書かれています。何かの決意表明ですねぇ。「この道しか」で長い沈黙があり(余白の部分)、「ない」と、決断しているように読めます。その後にやや長い沈黙があり「春の」と右寄せで書き、また短い沈黙の後に「雪ふる」が右下に緩やかに流れて終わっています。
中心線の通った、見事な作品です。墨の潤渇、濃淡が効果的に使われていますねぇ。山頭火の決意と春汀さんの決意がクロスしたのでしょうか。穏やかななかに、緩みのない、緊張感のある力作ですねぇ。
2020-02-23 12:47:22



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