「ミゼレーレ1」(愛) 作品221
- harunokasoilibrary
- 9月28日
- 読了時間: 2分
更新日:10月19日



ミゼレーレ1(愛・love)「道の美しい時、愛こそすべて!われらを憐れみたまえ」 2018年10月 紙本・墨 約73×76㎝
2018年12月19日~24日まで開催された個展のための作品と看板より。
表具は京表具春清堂の田端彰子氏。第103回表展に出品された。
荒地に種を蒔くつもりで開いた個展ではあったが、あまり来場者の無い書展は、やはり淋しいものであった。
書道新聞社などは飛んで来て、このような書道芸術を宣伝することが、書道の振興につながると思うのだが、アホなのか、馬鹿なのか、鈍感なのか、やる気がないのか、そこらの衆愚となんらかわる所がない。もちろん、書壇など在っても無くてもどうでも良いのだが、書道界の代表面は止めたほうが良いだろう。大切なのは書壇や書道界や書家ではなく、書が芸術として人々の幸せに、元気に生きつづけることに、人間らしさを励ますことに役立つことだろう。
淋しい個展ではあったけれど、二三の人に勇気と励ましを与え得たことを感じ、無駄ではなかったと思っている。
「罠と悪意のこの世で、わたしは姿をくらまし、深く潜行し、そして再び浮上することを学んだ。何よりもわたしの作品をもっと美しく、もっと表現的にすることに専念した」「さまざまな世の中で、荒地に種播くは美しい業」(ジョルジュ・ルオー)
ほとんど芽は出なかったが、わたしは今日まで、嗤われながらも、あきらめずに種を播いてきた。そう、少しは収穫があったから。
この国の不毛な書道界に種を播いた覚えはないが、ルオーのこれらの言葉に励まされて、ほとんど収穫の期待できないこの荒地に、わたしも種を播くほうが良いのかもしれないが、しかし、この世と同じくらい、いや、さらに酷く腐敗堕落した書道界や芸術界や知識界に種を播くことはとても苦痛である。
わたしはまだまだ深く潜行し、いつの日か再び浮上する時まで自分の表現力に磨きをかけようと思う。今回はその決意表明のための、展覧会、と言うのも恥ずかしい個展である。
それでも、誰か、ふと、立ち止まり、わたしの作った貧弱な作物を摘んで、その日一日だけでも、生きのびるために役立ててくれることを願っている。
2018年12月9日 母の誕生日に かそい (個展の図録より)
2018-12-25 09:19:37



コメント