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春野かそい記念館 Haruno Kasoi Museum 「ミゼレーレ17」(罪) 作品237

  • harunokasoilibrary
  • 7月26日
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春野かそい書「ミゼレーレ17・罪は永遠に消えず われらを笞打つ!」(罪・crime)

2018年12月制作 約23.5×23.5㎝ 唐紙・墨

「罪」と書かれている。


聖母マリアを除く全人類が負っている罪、アダムとイブの堕罪(原罪)とキリスト・イエスによる贖罪を信じる人は幸いである。

ルオーの「ミセレーレ」第58の副題「われらが癒されたるは、彼の受けたる傷によりてなり」は、旧約聖書のイザヤ書、第53章4~5節「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるにわれわれは思った。彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」から採られている。

ルオーは、キリストと同じように人の世の苦しみを背負ってゆこうと決意して、この「ミセレーレ」を制作したようである。彼は真の芸術家とはキリストと同じ道を歩くものだと考えていたのだろう。キリストの道とは、自分が犠牲になってでも、他人の苦しみを代りに背負い、他者を愛することである、と思われる。

純粋芸術とは芸術家自身の生き方を追求するものであり、他者の喜びのために制作されるものではない、という考えも正しいが、自分の作物が他者の幸福に役立つことを願う気持ちも本当のことである、とわたしは強く感じる。

「人間の不幸の源泉は魂の原罪であって、社会制度の欠陥ではない。人間は何よりもまず己の心にひそむ悪や罪と戦い自力で道徳的完成を成し遂げなければならない。われわれの救いは神にある。・・・」(金子幸彦「ドストエフスキー」『ロシヤ文学案内』岩波文庫より)。

2019-01-10 09:52:47

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