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「ミゼレーレ15」(憎) 作品235

  • harunokasoilibrary
  • 8月17日
  • 読了時間: 1分

更新日:10月20日

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春野かそい書「ミゼレーレ15 ・すくいは何処に!深い傷痕!」(憎・hatred)

2018年12月制作 約23.5×23.5㎝ 唐紙・墨

「憎」と書かれている。


「憎」と「愛」は、悲しいかなコインの裏表である。愛する人のために敵を憎み戦う。そのような愛が「真実の愛」かどうか、わたしには疑問である。現実の世の中は、憎しみだらけである。憎しみの海に花びらほどの小さな愛が漂っているのが現実である。「愛」を口にする人ほど「真実の愛」からはほど遠い。愛は確かにあるのだが、愛を意識した途端に、愛はその姿を見せなくなる。愛は捉えることのできないものなのだろうか?愛を表現する意味など無いようにもわたしは思う。愛を造形できればとも思うが、愛が生きて動くものなら、永遠に愛を捉えることはできないのかも知れない。それに、愛を歌い形にするよりも、本当に「愛する」ほうがもっと大切なことなのだ、とわたしは考える。愛は表現するものではなく、行うものなのだ!


「なぜ憎みあうのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ。同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立するのはいいことかもしれないが、これが、おたがいに憎みあうに至っては言語道断だ。」(サン・テグジュペリ『人間の土地』より)

2019-01-08 09:27:40

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