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春野かそい作品鑑賞 愛は何処35 つづき2

  • harunokasoilibrary
  • 6月7日
  • 読了時間: 2分

1952年、アメリカの作曲家ジョン・ケージは自作『4分33秒』で音楽は演劇の一部だということを提唱した。

この曲のコンセプトは「無音の音楽」である。4分33秒間まったく楽器は演奏されないから、沈黙の音楽とも言えるだろう。

無音の音楽は聴こえないから、客は会場内の人の呼吸や騒めきなどの雑音を聴くことになる。


音楽とは楽器の演奏や歌声を聴くもの、その音は作曲者によって選ばれた純粋な音〔雑音でないもの)の組み合わせられたものである、などといった音楽の伝統的な常識を否定するものであった。また雑音が音楽になるということは名演奏家による音楽だけが音楽ではなく、聴き手が作曲と創作の主人公になるということでもあった。このような発想は、ケージが鈴木大拙に学んだ禅、東洋思想の偶然性による芸術の考え方からきているようだ。禅の思想では、すべての偶然をあるがまま受け入れる。ケージは「自分では音を選ばず、うかがいを立てる」と言っている。

芸術とは何か?考えさせられる言葉ではないか。


あらゆる存在が演劇なのかも知れない。演劇にはあらゆる表現が含まれる。ファッション、音楽、映画、絵画、彫刻、建築など。


映画は20世紀を代表する表現であるが、絵画が表現の中心にあった。絵画は画家という個人が創作の中心にあるのだが、

映画は個人で創れるものではない。一般に、大勢のキャストやスタッフとの協同作業で創られる。


映画『ドクトル・ジヴァゴ』は1966年12月にイタリアで公開された。

原作は1945年11月に執筆が開始され、1955年頃完成している。著者はボリース・パステルナークである。

ジョン・ケージの『4分33秒』が作曲され発表されたころに重なっている。                つづく

2021-01-29 10:23:39

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