春野かそい作品鑑賞 愛は何処35 つづき
- harunokasoilibrary
- 6月7日
- 読了時間: 2分
昨年の春 突然倒れ 救急車で搬送され すぐ手術をしてもらい 一命を取り留めた後 何日経っていたのかよく覚えていないが 病室のベッドで ぼ~と無為に過ごしていた
あまりの淋しさに耐えられなくて なぜだか分からないが 良い絵が見たい 良い音楽が聴きたい と 餓えた狼のように こころの空腹を満たそうと もがいていたとき ぼくにはテレビを見る習慣はなかったのだが 近くにあったテレビをつけて何時間も ぼ~と見ていた
いくつかの興味深い映像や音楽に出合ったけれど 疲れるだけで感動するほどのものはなかった
まだ ぼくは自分がどこにいるのかも 何をしているのかも 何者なのかも なぜここにいるのかも 分からなかったのである ただ ひとりぼっちで淋しいだけであった 真白い部屋に 愛もなく会いに来る人もなく 窓から見える 流れる雲と青い空を 時間を忘れて見つめていたようだ
テレビを見だして 何日経ったのか 何時間後なのか はっきりしないが いつだったか何十年も前に どこかで見たことのある映画に 物語の筋も分からず 言葉も分からず 字幕をたよりに その映像に魅入っていた 3時間くらいある長い映画だったが ラストで ヒーローが急死するシーンを見て 以前たしかに観た映画だと分かった それはオマー・シャリフ主演の『ドクトル・ジバゴ』だった
なぜ ぼくは この映画に癒されたのだろうか
それから もう一つ 見た瞬間から 身動きが取れないくらい魅せられた映像があった それは室生寺の仏像のはなしのようであったが ぼくは その仏像の衣文に魅せられたのだった 生まれて初めて見た襞の線であった 涙があふれた 身ぶるいするような感動であった 流れるような衣文の線に生まれて初めて癒されるのを感じた その衣文は 平安時代前期の「釈迦如来坐像」などに彫られている漣波式衣文である
なぜ ぼくは この線に深く癒されたのだろうか
ぼくは 仏像の聖なる愛の造形 と 映画の俗なる愛の造形に 癒され励まされ 生きる意味を深く強く感じたのであった
おそらく 『ドクトル・ジバゴ』の原作者ボリス・パステルナークはその作品に「そこにもっとも大切なことを書きこみたいのです」とオリガ宛の1946年2月1日の手紙に書いている通り 彼がもっとも大切なことと思ったのは 愛のことだろう・・・・・・ つづく
2021-01-27 10:00:50



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