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愛の造形1 チャーリー・チャップリンの映画『ライムライト』のつづきの6

  • harunokasoilibrary
  • 6月7日
  • 読了時間: 6分

まだ決まりじゃないわ ポスタントさん次第なの

ポスタント? 引退したと思ってた

知ってるの?

ああ 私はここの看板スターだった

━ ━

フットライトを

━ ━

手が冷たいぞ

━ ━

きっとお気に召しますよ

早く見せろ

テリー こちらへ 

はい

即興で踊りますので

実力がよく分かる

テリーです

よろしく

ネビル君が伴奏する そうだ 作曲家のネビル君だよ

初めまして 前に会ってますね

そうかしら

━ ━ ━

よし お昼にしよう

1時半にまた集合

おめでとう 当劇場の新しいプリマだ

からだが冷えるからコートを 早く着て それから話だ

僕が

僕からもお祝いを

ありがとう

2時半に事務所で契約書を作ろう

2時から稽古が

では6時にしよう

風邪をひく前に早く着替えなさい

ネビルは?

ライトを消せ

━ ━

━ ━

カルベロ

ここだ

捜したわ

なぜ こんな暗い所に?

年甲斐もなく泣けてきてね止まらないんだ

君は正真正銘の芸術家だ

ree

本物だ また泣けてきた 

(カルベロの顔の表情は複雑だ!ルサンチマンに悩まされながら、それと闘っている芸術家の表情だ!彼はほんとうにそう感じているのだが、)

カルベロ!

ずっとこの時を待ってたの!愛してるわ!

前からこう言いたかった

あなたに娼婦と間違えられたあの日から

私を引き取って 世話をして 命を救ってくれた 勇気もくれた

ree

あなたを愛してるの

カルベロ 私と結婚して!

バカなことを

私は本気よ

私は老いぼれだ

関係ないわ!

愛してるのよ

大切なのは愛でしょ

ハッハッハッハッ テリー━ ━

━ ━

━ ━

新聞はいかが?

━ ━

かつらを合わせにいってくる

一緒に行くわ

君は昼食をとりなさい

そうね

劇場で会おう たくさんお食べ

━ ━ ━ ━

こんにちは

さっき伴奏をした者です 混んでますね

ree

テリーとネビル     

いつもよ

2名様?

そうです

こちらへ

ご注文は?

ベーコン・エッグとトースト

私も

無難ですからね

稽古には最高の日だ

ree

予報は雨なんですけどね

そう?

何がおかしいの?

やっと話せるのに言うことがない

じゃ黙ってれば?

僕は席を移るべきかな

かみつかないわよ

どうかな

さっきのこともあるし

何のこと?

紹介された時だよ

それが?

えらく冷やかだった

一体何の話?

すまない感情的になった

ree

でもやっぱり前に会ってるんだ

そうかしら

違うならあれは双子の姉さんだ

どんな人?

ほんとに知りたい?

ええ

彼女は文具店にいた 僕がよく五線紙を買った店だ

内気そうな人で 口数は少なかったけど━ ━ 彼女の笑顔が多くを語っていた

僕も内気だから似た者同士の絆を感じてた 

彼女は時々五線紙やお釣りを余分にくれた

飢えには勝てず僕は黙って受けた

僕の曲が演奏された翌日━ ━店へ行ってみた だが彼女はすでに店をやめていた

その後彼女には?

会えたのかな?

会ってるわ

分かってたよ

あのせいで私はクビになったのよ

僕を恨んでるの?

いいえ あの頃は若かったわ

今も若い!

どうかしら もうすぐ結婚するし

おめでとう

ありがとう 

料理はまだかしら

━ ━ ━ ━


芸術家の生涯がどんなに醜く悲惨で汚れていたとしても、彼らが創作した作品は、私小説のようなものではない!故に芸術家の人格や性癖やイデオロギーなどは作品の価値とは直接つながるものではない。芸術家も色々で、芸術家はこんなものだと決めつけると、その評者にとんでもない不幸が訪れるかも知れない。

芸術家は不幸で異常な人が多い。貧困、病気、孤独、男女関係等々・・・なぜだろうか?分からない!

チャップリンも典型的な不幸な芸術家だ。が、彼の作品は面白く、真実で、美しく、人々を癒し、励まし続けている。不幸が生きるバネになっているのではないだろうか。芸術創作は立派な人間性が具わっていなければ生まれない!と、思い込んでいる人には、彼の作品は何の感動も与えないだろう。作者が変態ではその作品も価値がないだろうと思い込んでいる人と同じだ。バカじゃなかろか!作品の価値は作品そのものの美にあるのだ!作者より作品を見よ!

しかし、芸術家がどんな人か知りたく思うのも自然なことだろうから、以下にチャップリンの「生涯」とは大袈裟だが、そのスケッチを書いておくが、真偽のほどは自分で詳しく調べてもらいたい。


チャップリンの生涯

1889年4月16日、ロンドンに生まれる。

両親はともにミュージック・ホールの俳優であったが、1891年には別居し離婚したらしい。母ハンナは1892年夫の芸人仲間のレオ・ドライデンとの間に男子を出産。チャップリンが7歳のころに貧困とハンナの病気入院により、チャップリンは4歳違いの異父兄と孤児院や貧民院を転々としながら、家計を支えるために床屋、印刷工、ガラス職人、新聞の売り子、パントマイム劇などの職に就く。1898年9月母ハンナは栄養失調と梅毒が原因で精神病を発症したためケイン・ヒル精神病院に収容された。

チャップリンは19歳のときに名門劇団に入り、一座の若手看板俳優となる。

アメリカ巡業の際に映画プロデューサーの目にとまり、チャップリンは25歳で映画デビュー。たちまち人気者となる。人気があるから芸術家として一人前だと思っているなら大間違いだ。大衆に人気があることが芸術の価値の第一条件のように言う人がいるだろうが、価値観は個人の自由だし何でも良いが、ぼくは違う。そんなことをもっともらしく言うのは、社会主義レアリスト(スターリンら)か国家社会主義者(ナチス〕ぐらいだろうか。第二次世界大戦後、東側諸国との冷戦が始まったアメリカでチャップリンの作風が共産主義に理解を示していると非難される(赤狩り)。

1952年、63歳のときにアメリカから国外追放命令を受け、チャップリンは米国と決別。

映画出演もめっきり少なくなるが、スイスに移り住み幸せな晩年を送る。青年時代に若い女性とばかり4度結婚、離婚をし11人以上の子にめぐまれた。(1917年夏、28歳の時、15歳の女優ミルドレットと結婚、2年で離婚。1924年34歳の時、16歳のリタと結婚、3年後に離婚。1936年、46歳の時、19歳のポーレット・ゴダードと結婚、6年で離婚。1943年、53歳の時、18歳のウーナ・オニールと結婚、彼女だけ彼と生涯離婚せず8人の子供をもうけた。チャップリンが73歳の時、8人目の子をもうけた。)長女のジェラルディン・チャップリン(1944年7月31日生)は、ウーナ・オニールとの子。その他大勢の女性と恋愛・・・

1972年、米国アカデミー賞授賞式に出席するため、20年ぶりに米国の地を踏む。舞台に登壇したチャップリンはスタンディングオベーションで迎えられた。

1977年12月25日、絶倫チャールズ・チャップリンはスイスの自宅で88年の生涯を閉じた。

女性関係は、ゲーテやユーゴーやピカソ並かそれ以上だ!

彼ら天才芸術家たちのタフさには驚くが、その肉体的タフさは、心のタフさに比例しているようだ!が、芸術家はタフでなければ一流にはなれない、と決めつけている訳ではない。精神のタフさがあれば良い作品は創造できるかも知れないと、ぼくは思っている。

ぼくが今、言いたいことは、「さて、自己を品行方正な善い人間だと思っているあなたたち!上の芸術家たちの作品を、そのような、品行方正な人格とは程遠い非常識な人たちの作品を、まだ愛せるか!」

愛せないのなら、あなたたちが歪んでいるのだ!偽善者なのだ!

芸術は美しいが、品行方正、常識、善良な人間、とは何か?それが偽善でないことをぼくは願う!

2021-03-11 13:22:49

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