もう一つの時間
- harunokasoilibrary
- 3月30日
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この風景はどこだろう。アフリカのジャングルだろうか。チンパンジーの群れが他のサルの家族を襲っている。サルの家族は父と母と子ザル。父と母ザルは子ザルを護るため懸命に闘った。父と母の力を信じて頼りきる愛らしい子ザル。しかし父ザルの知恵も力も、母ザルの母性も祈りも無力だった。運命はこの罪なき家族の生命(いのち)をチンパンジーたちの生命(いのち)のために差し出した。チンパンジーたちは狡猾にサルの家族を追いつめ、母にしがみつく子ザルを引き離し、叩き殺し、その手足をもぎ取り、トウモロコシの皮を剥ぐように子ザルの皮を剥ぎ、その肉を口にほおばっている。
ここはパレスチナ。砂ぼこりと廃墟のような石造りの家いえ。壊れた石塀の小さな隙間に父と子がへばりついている。その少年は十歳位だろうか。彼らの前方には兵隊の群れがいるようだ。そちらから銃弾が霰のように彼らに降りかかっている。後方から味方が応戦しているようだが、父子(おやこ)は身動きが取れない。少年は父の背中にしがみついている。少年にとって父は誰よりも頼りになる優しい人だった。父は少年の方に腕を伸ばし、その小さな体が傷つかないように必死でかばっている。父子(おやこ)は丸腰だ。抵抗することの出来ない無力な者を弄ぶように兵隊たちは執拗に銃を撃つ。救いはどこにもない。父と子の血は乾いた大地に一滴残らず吸い込まれていった。神も仏も、この様な理不尽を、みて見ぬふりをするのだろうか。
岩と雪と氷の世界。ここはヒマラヤ、高さ8000メートルのナンガ・パルバートの氷壁。酸素ボンベなどの近代的な一切の道具を使わず、ボルトも使わず、アイゼンとピッケルだけを頼りに20キロのリュックを背負ってたった一人でこの氷壁を登って行く男がいる。世界中の8000メートル級の山を全て単独で登頂したラインホルト・メスナーだ。一つの小さなミス、それは死を意味する。一つのミスも許されない世界。何日にもわたる寒さと、乾燥と、孤独との戦い。生命(いのち)の極限状況の中で彼は不思議な人たちに出会う。そして彼や彼女たちと会話もする。話はするのだが、その人たちの姿は見えない。これは幻覚ではないとメスナーは言う。
白と黒のまだらの中に、細く黒い線が引っかいた様に無数にある。所々に白い粒子の様な物が見える。電子顕微鏡で撮った物質の表面かと思ったら、それはアラスカの北極圏の原野を移動するカリブーの群れの航空写真だった。ぼくは、このような世界をいまだかつて見たことがなかった。人の痕跡は微塵もない。全く人間を拒絶した世界だ。零下50度の極寒の世界を、季節の巡りと共に、何千何万のカリブーの大群が、誰にも知られず動き続けている。何処から来て何処へ行くのだろう。彼らは何千年もの間、もくもくとこの移動をくり返している。その間この同じ地球で僕たち人間は無意味な戦争を途切れなく続けてきた。この様な愚極まる人間たちから隔絶された、壮大無垢な世界があることが、何故かぼくを、ほっとさせる。この写真を撮った星野道夫はカムチャッカで、彼が畏敬してやまなかったクマに襲われ、その短い生涯を閉じた。
ぼく達は、いつの間にか、どうしようもない所に来てしまったような気がする。時間に追われ、情報の渦に巻き込まれ、欲望にせき立てられ、買い物に駆けずり回り、子育てや生活に疲れ、いつの間にか希望を失い、老いて行く。都会は、中途半端に消費された不要なゴミと排気ガスの山のようである。人の生命(いのち)も安い商品のように使い捨てられてゆく。農山村では、自然への畏敬を忘れ、お金にしか価値を見ない生活の破綻を、クマの犠牲によって自然が知らせているかのようだ。山が荒れれば漁村も荒れる。この風景は、ぼく達の心の風景だ。この荒れた風景が、またぼく達の心を荒(すさ)ませていく。
足元に石がある。何億年の時を刻んで。目の前に樹がある。何百年の時を刻んで。樹の枝に鳥がいる。十年の時を刻んで。樹の下に草がある。一年の時を刻んで。草の中に虫がいる。数ヶ月の時を刻んで。世界のどこかで理不尽に人が殺害され、飢えた人々がいる。また、未知の世界に挑む人がいる。それぞれ異なる時のスケールを刻みながらこの世界で同じ時を共有しているのだ。今を同時に生きているのだ。一瞬にして世界をとらえてみれば、世界は生命(いのち)の坩堝(るつぼ)である。
政治や社会問題や日常生活は言うまでもなく大切だ。それが、生きることの全てだと言う人もいるだろう。しかし、それらは新聞やテレヴィの情報のように瞬く間に跡形もなく消えてしまうものではないか。あまりそれらに囚われ過ぎないほうが良いと僕は思う。メスナーや星野道夫は感じていただろう。日常とは別の、もう一つの時間を、もっと大きな悠久の時の流れを。人類は自然のほんの一部でしかないことを。そして、その歴史は今始まったばかりだと言う事を。
もの言わぬ木々の梢をゆるやかに秋風が吹きぬけて行く。もう一つの時を乗せて。
(2004年10月・会員つうしん第74号掲載)

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