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ギャップ

  • harunokasoilibrary
  • 3月28日
  • 読了時間: 4分

異国から友人が来た。三年ぶりの再会である。彼は三年前、私の個展にふらりとやってきた。そして青い目をまん丸にして「ビューティフル」「ワンダフル」を連発しながら会場を一周した。異国の人に対する好奇心もあったけれど、私はその驚くさまを美しいと感じ、彼にお茶をすすめた。静かに腰をおろした彼の、深く澄んだ目は、まだ興奮が醒めないらしく、爛爛と異様に輝いていた。私は彼の穏やかな物腰と、物静かな温かい相貌に、美しい魂を持った人だと直感し、私の作品を気に入ってくれて「サンキュウ」と礼を言った。彼は水彩画家だと名のった。  

 

それから幾日かして、忘れ物を探している人のように少し急いだ様子で彼がまたふらりとやってきた。そして、今度は何か確認するかの様に「ワンダフル」「ビューティフル」と呟きながら作品の前に立ち止まった。私は彼に尋常ならぬものを感じ、心に深くその面影をやき付けた。それから数日後個展は終わった。

 

カナダに帰った彼と文通を始めてまもなくだった。私の個展で、私のある作品に感動した彼は、その作品に触発され、旅館に帰って六点の絵をかきあげた事を知らせてくれた。彼が送ってくれたその作品の写真を見て私は驚き、私があの時、尋常ならぬものを感じた訳が分かった。この手紙で私は、強く心を動かされ、再会するまで何通もの手紙を、彼とやり取りする事になった。一つの作品が種になって新しい芽が生まれる。作者としてこんな嬉しいことはない。有り難いことだ。「有り難い」とは「有ることが難しい」と言う意味だ。「めったに無い」と言う事だ。

 

私の個展で二度会ってから三年ほどの月日が流れた。その間、次第に私は手紙のやり取りを通じて、彼のことを、信頼できる、気心の知れた、気がおけない友人のように感じていた。少し年とって再会した私達は、青年よりも溌剌と、祭りを見物し、映画や知人の展覧会をみ、美術館や博物館やお寺に行き、庭園をみ、絵や字をかき、食事を共にした。少なくとも私は、彼の長い滞在中楽しい日々を過ごした。瞬く間に楽しい日々は過ぎ、今わたし達の間には果てしない大海原が横たわっている。

 

彼が私の家に泊りに来たある日、家族と一緒にくつろいでいた夕暮れ。少し話し疲れた私は、小学生の息子に、彼のためメンデルスゾーンの曲をピアノで弾いてくれないかと頼んだ。しぶしぶ、中途半端に弾き終えた息子は、次は自分の好きな曲を聴かしてあげようと言ってCDを鳴らした。人気アニメの曲であった。静けさが破られた。彼はその曲に理解を示した様だったけれど、私は少少うんざりして異国の人にあやまった。そのとき彼が、「カベ」「ギャープ」・・・そして辞書を調べて「ジェネレーションギャープ」・・・「コトバノカベ」・・・「ラングウェッジギャープ」と呟いた。私はみょうに納得してうなだれた。

  

ギャップ(gap)とは、割れ目、裂け目、隔たり、ずれ、空白、などと訳される。「断絶」や「壁」、「溝」と訳したほうが一般的だろうか。考えてみればこの世はギャップだらけではないか。ジェネレーションギャップ(年齢の壁)、ラングウェッジギャップ(言葉の壁)、近頃はジェンダーギャップ(男女の壁)と言う言葉もある。ベルリンの壁は無くなったけれど、どこもかしこも新たな壁で隔てられ、犬も歩けば壁にあたると言ったほうがいいくらいだ。モグラたたきのモグラではないが、たたいても、たたいても人をからかう様にピョコピョコと壁が出てくる。

 

多くの人は、古代インドの話にある、ゾウを見た(触った)盲人たちの様に、自説に執着し他を非難ばかりしている。この国の為政者の発言は本当に日本語なのだろうか、私には理解できない。彼らと私の間には異国の人よりも深い溝がある。人間と人間の間にはどうしようもない壁があるのだろうか。そしてまた、生きるとは、息をすることだという単純な真理を忘れた人間は、酸素を作ってくれるかけがえのない草や木を、自己の欲望のため伐り倒し殺害している。自然と人間の溝は拡がるいっぽうである。

 

私と彼は、かたことの英語と日本語で話した。言いたいことの十分の一も言えなかった。彼もそうだろう。私は言葉の壁を乗り越えることが出来なかったと思う。しかし、私達の間には絵と書がある。それは太平洋に架かる一本の細い線のような橋である。英語で「橋」は「ブリッジ」と言う。ブリッジはまた、溝を埋め、壁を取りのぞく意味である。「bridge a gap」は「ギャップに橋を架ける」ことである。私は細くても強い壊れない橋を架けようと思う。


 

(2004年8月・会員つうしん第73号掲載)

 
 
 

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