斫り
- harunokasoilibrary
- 3月25日
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ある事情で鉈(ナタ)を買わねばならなくなって、鉈のことを調べていたら円空仏に出会った。以前から円空仏は気になる存在であったが、円空が鉈を使って木の仏像を彫ったことは知らなかった。
私には仏像の良し悪しは解らない。また特にありがたいとも感じない。彫刻として観てもあまり気に入ったものは無い。上から人を見下した姿勢が気に入らない。しかし円空仏には惹き付けられた。そして今日までそれは私の意識の底に静かに座っていた。何万点あるか分からない円空仏のほんの数点を観たに過ぎないが、それぞれが個性を持った、生きた人間のような風貌を私は忘れることが出来ない。鉈の一振りで奇跡のように現前するフォルムは人間技とはとても思えない。それは、私の理解を超えている。荒ら荒らしい技のようでけっして荒くない。必要最小限の切断面が、円空の細やかな想いを、宇宙の果てまで届く光のように寂静と放散している。その光を支えているのは、隣り合う深玄な影である。
円空の技法は「鉈彫り」と呼ばれたりする。鉈彫りといっても鉈だけで彫ったのではなく細部は何種類かの鑿(ノミ)なども使って彫ったのであろう。木彫の経験のない私には、正確なところが判らない。しかし円空仏の本質は、やはり鉈彫りにあるように私は思う。円空の仏像の、慈悲に溢れる細部の、優しく温かい表情は、荒い鉈彫りとのコントラストによって際立っている。ふとレンブラント晩年の肖像画が浮かんできた。それらは人物の衣装を荒く省略して人物の顔と手に光をあて人間の本質を際立たせている。それらの作品もまた円空仏と同じように慈愛に溢れ、人間に対する信頼を私たちに取り戻させ、私たちを生き続ける方向へ励ますものである。
レンブラント(1606~69)と円空(1632~95)はほぼ同時代の人である。お互いに知る由も無いであろうが、西の果てのオランダと東の果ての日本に、どちらが果てか知らないが、信頼にたる美しい人が苦しみながら一所懸命生きていたかと想像すると世界の在り様の不思議と人間の深い繋がりを感じずにはいられない。人間の、美しさに対する願いは人種も民族も宗教の違いも、東も西も南も北も越えて在るものなのだ。それが人間の伝統というものではないか。
円空円熟期の技法は「鉈はつり」とも呼ばれている。「はつり」は漢字で「斫り」と書く。「斫り」とは、鑿などで石や木や金属などを薄く削りとることである。円空はどのような姿勢で鉈を振り上げ、どのような思いで鉈を振り下ろしたのであろうか。鋭くはつられた跡に迷いは感じられない。しかし職人のような正確な仕事ではない。熟練はしているが慣れてはいない。職人にはとても及ばない世界である。私には、はつられた一つ一つの彫り跡が透きとおった悲しみの痕に想えてならない。
鉈を構え木に向かったとき円空には木の中に像が見えたに違いない。一つ一つの木のかけらが、それぞれ、世界に二つと無い命として円空に語りかけてきたに違いない。円空はその木を自分の思うように作り変えたのではなく、木の中に宿る、天地万物を生かす本源の何ものかを、木に成り代わってかたちにしたのではないだろうか。本源の何ものかと書いたが、何ものかにあたる言葉を今の私は思いつくことが出来ない。
伝説によれば、円空は12万体もの仏像を彫ったとされている。朝から晩まで休み無く彫り続けたのだろう。彫り続けなければならない訳があったに違いない。彫り続けることが、生き続けることであったのであろう。なぜだろう。
円空は、幼いときに長良川の大洪水で母を亡くした。母一人子一人だった円空は、天涯孤独になった。母を亡くした悲しみは、悲しみなどと言う言葉では言い尽くせない絶望と虚無を円空にもたらしたに違いない。若くして亡くなった愛しい母を想い、円空は祈るように木をはつったのだろう。木をはつっているかぎり、森羅万象は、ただ一人円空を慈しんでくれた亡き母であった。木をはつることで亡き母と一体になって円空は虚無をのり越えたのだ。円空にとって鉈を振り上げ木を斫る一振り一振りが、母と共に祈り、母と共に生き、死をのり越え、微笑みながら自然に帰る道であったのだと、私は想う。
円空にとって、「斫り」は「祈り」であった。私も斫るように筆を振るいたい。
(2004年2月・会員つうしん第70号掲載)

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