2009年七夕書道大会感想
- harunokasoilibrary
- 12 分前
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線は書のいのちである。そのいのちを生み出すのは情熱だろうか。感情はさまざまで、激しているときもあれば、穏やかなときもある。静かに激しく燃えるようなときもあれば、失意のどん底でこころ閑かなときもある。自然がくすんで見えるときもあれば、すべてが輝いているように感じるときもある。世界のすべてに祝福を捧げたく想うときもあれば、世界が消滅してしまえば良いと憎悪するときもある。人の感情は当てにならないものである。
自然の中に在るさまざまな線は、すべて美しい。と、ぼくは感じる。ぼくの感情がどんなにネガティブなときでも、自然の線は例外なく美しい。と、ぼくは感じるのだ。自然の線は人間の感情を超えて美しい。その線はいのちの線である。いのちは必ずしも優しくはないが、しかしその線は美しい。なぜ美しいのか、ぼくには解らない。蝉の声を喧しいという人がいるが、ぼくには、それは安らぎである。梢で蝉たちが乱舞して描く線はいのちの軌跡である。
生きとし生ける物が、なぜそのように在るのか、自然の中の有とし有るものがなぜこのように在るのか、ぼくには解らないが、それらはとてつもない力でぼくの感情を揺さぶり、美の感情を呼び覚まし、世界を理解したいという欲望をかき立てる。
短冊や団扇や半紙に書かれたたくさんの迷える線を見た。どれもそれぞれに美しいところがあった。線を書きながら自分の感情のありようを尋ね、こころの様を見つめることが書というものの当為(とうい)であろう。古人今人の書に臨みその線の意味を学ぶことは幸いである。良筆には良筆の、悪筆には悪筆なりの意味がある。とはいえ、悪筆に出会ったときは、それをビリビリに破り捨てたくなり、しばらく不快そのものではあるが、気を取り戻してその意味を考える。できることなら美しい書に囲まれて暮らしたいが、職業柄そうもいかない。まだ暫くはがまんしようと思っている。みなさんには書を大事にして頂きたい。線に対する感性を深めてほしい。線を常に感じていてほしくも思う。言葉を超えた深く繊細なこころを培って、豊かな人生を送ってほしいと、こころから思う。ぼく自身が至らぬことをみなさんに願うのもおかしな話ではあるが、ぼくはその線で行こうと思う。
(2009年8月・会員つうしん第103号掲載)

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