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2005年書き初め大会規定課題におもう

  • harunokasoilibrary
  • 4月2日
  • 読了時間: 2分

 同じ「祈り」と言う文字を書いても、人の顔がみんな違うように、一つとして同じ「祈り」の姿にならないのが不思議です。

 何がそのようにしているのでしょうか?

 テクニックの巧拙や書き手の性格や筆ぐせの違いでしょうか。書の知識の多少や、筆や紙など、書くための道具や材料の違いでしょうか。心の中身の違いでしょうか。

 「祈り」と言う文字・言葉は文字や言葉にすぎません。文字や言葉は物ではありません。現実そのものではありません。現実にそこに在る物は紙や墨です。「祈り」と言う文字・言葉は祈りそのものではありません。文字や言葉そのものには価値はありません。文字や言葉は伝達のための道具、手段にすぎないと私は思います。

 祈りも物ではありません。観念または心にすぎません。心をエネルギーと言う人もいるようですが、私には解りません。心は実在しませんから、祈りでは何一つ実現しないと私は思います。この考えは間違っているかもしれません。

 それぞれ違う「祈り」は、表面的な印象なのかも知れません。一人一人違うその顔や性格を取り除いていけば人間に共通した何かが在るかも知れません。全てに共通した一つの「祈り」が在るかも知れません。

 祈りとは何なのでしょうか?祈りに価値はあるのでしょうか?意味があるのでしょうか?(2005年2月・会員つうしん第76号掲載)



自由課題の感想

 

 文字や言葉を書くとはどういう事でしょうか?美しい花や、どこまでも深い青い空、夕焼けや雲や雪に私たちは言葉なく何時までも見惚れます。書かれた文字や言葉に私たちはこの自然から感じるほどの感動を感じるでしょうか?これらの自然は本当に在ります。しかし、文字や言葉はイメージにすぎません。実在する物ではありません。「鳥」と書いても鳥になる訳ではありません。「花」を書いても決して花にはなりません。そこに本当に在るのは、紙と墨です。

 私たちは何を書いているのでしょうか?文字でしょうか?言葉でしょうか?それとも名づけられない何かでしょうか?

 書かれた多くの作品を前にして、私には、それらがとても尊いものの様にも、また悲しみからの逃避の様にも思えます。

(書き初め大会作品発表紙面に掲載)



 
 
 

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