2006年書き初め大会の感想
- harunokasoilibrary
- 4月10日
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更新日:6月1日

花は不思議なものです。息を切らして急勾配(きゅうこうばい)の坂道を登っていますと、もう心臓が止まるのではないかと苦しくなりますけれど、そこに、少し赤くなった花の蕾(つぼみ)が何気なく咲いているのを見ますと、我を忘れて、その、まだ硬く引き締まった愛らしい姿を見つめてしまいます。それから私は、少し元気になって、何も考えずに、また坂道を登りつづけます。
花は何の目的も理想もなくただ咲いているだけですけれど、私は時間に追われ、目的を持ち、野心に急(せ)きたてられ、坂道の先にある仕事場に向かって頑張って走りつづけます。
何か得体の知れない欲望が私を捉えていることを私は感じています。その欲望の中を、苦しさの中の白い息や恐ろしく先の尖った氷柱(つらら)や黒々と艶やかな木の葉や川面の緩やかな波紋が墨流しのように曲線を描きます。それはとても心地よい曲線で、その瞬間、私の中には欲望はありません。そしてすぐ再び、私は複雑な気持ちを伴ったまま、目的地めざして走りつづけます。
愛について私たちはたびたび口にしますけれど、本当の愛を私たちは知らないのです。愛についての考えや、意見や、願望は、狡猾に飾られた耳あたりの良い言葉や切実らしく装われた歌などによって語られていますけれど、それは、愛ではありません。愛は考えても渇望しても解らないでしょう。渇望は満足という報いを求める欲望です。報いを求めるところに愛はありません。考えや意見は精神の働きです。精神は過去の経験に条件づけられた偏った見方に過ぎません。私たちは愛の一部を知っているかもしれませんが、それは、愛そのものではありません。人間の指先だけを知っていても、人間が解ったわけではないように、部分を見ても全体は解からないでしょう。愛は分割できない一つのものです。
愛によって組み立てられた世界を私は知りません。愛のある世界なら、食べ物も住まいも着る物もお金も喜びも悲しみも分かち合うことでしょう。私たちの過去は、愛によって組み立てられたものではありません。だから、愛のない世界で秩序を保つために義務や責任や犠牲を口にし、法律や倫理を重んじなければならないのです。愛があれば法律も責任も義務もいらないことでしょう。
様ざまな愛が書かれましたけれど愛は表現できないものです。愛は生きていて常に動いているからです。そして本当の愛は一つしかありません。私たちがあるがままの自己に本当に気づいたとき、そこに愛が静かに立っていることでしょう。
(2006年2月・会員つうしん第82号掲載)

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