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随想 美しき森 

  • harunokasoilibrary
  • 2月1日
  • 読了時間: 3分

更新日:6月1日

僕にとって「九条」は陳腐な言葉にすぎなかった。「九条」など書こうとは微塵も思わなかったし、「九条」では平和は実現できないと考えていた。

 

書(しょ)は文字をかく。しかし、書は、単に文字をかき連ねるだけの文学ではない。それは、身体を動かし文字を造形する。感情と思想がその動きを先導する。書においては、立派な言葉が大事なのではなく、書きぶりがすべてである。それは、言葉では表現できないものを表現する。しかし、言葉の持つダイナミズムが書の質を決定もする。「九条」が作品になるためには、書き手の詩情が心底から揺り動かされなければならない。

 

「九条」は想わぬところからやってきた。一人の女性の真心がそれを運んできた。それは、争いや人殺しのない世界を希求する清らかな線に乗ってやって来た。「九条を作品にしてください」というその女性の願いを聞いたとき、観音様ににらまれた孫悟空のように、僕は逃げ出したかったが、逃げられるものではなかった。それは僕にしか書けない「九条」があることを訴えていた。その真心になんとか応えたかったが、しかし「九条」を陳腐だと思っている以上どう書いたところでそれは嘘になる。

 

かねてから暴力のない世界の実現は僕の悲願であった。偏見をすてて「九条」を読みなおすときがついにきたのだ。この女性の祈(ね)がいに動かされて僕は重い腰を上げ、一年後の書展に向けて、「九条」の深浅寸法を測り思索を始めた。

なかなか大きさがつかめなかったが、やがて霧の中に浮かぶ大山(たいざん)のように幽かにその姿が見えてきた。それはとてつもなく大きく、天をもつらぬく高山か底知れぬ大洋のようであり、挑みがいのある対象であった。

 

 

それは欧米の苦闘の歴史の中から生まれ、日本に伝えられたのであるが、そこにうたわれた非暴力の思想は欧米人だけの願いではない。それは人類の古代からの願いであった。さらに古代をさかのぼって元始(げんし)の人の願いでもあったに違いない。もっと言えば人以前の生命(せいめい)の願いでもあった。他の生命の犠牲のうえにしか生きることが許されない生命の願いは、目に見えないほど細い線になって人に伝えられ、しだいに太くなりながら、ついに「九条」の言葉になって日本に伝えられたのだと、僕は感じたのだ。それは生命進化の最先端にあった。

どうしてもその線を目に見える形にして、僕のビジョンの真実を確かめねばならない。僕は、「九条」の言葉の背後にある、清らかで、とてつもなく強い世界を顕現させようと願い、僕の目を開かせた一人の女性の人間性のために、持てる力をすべて出しきったが、力およばず十分書ききることができなかった。

 

「九条」は、陳腐な言葉にすぎないとしても、それを生み出した心は緑ゆたかな美しい森のようである。作品は不十分なものではあったけれど、「九条」を書くことによって、僕は、世界中にある色とりどりの美しい森に気づいた。それは蝶の羽ばたきのような、ささやかな出来事だったかもしれないが、たった一人の人間の無垢(むく)な魂(たましい)がどれだけ大きな美しい森をこの世界に創りだす力になるか、僕は証明せずにはいられない。

 

(2009年 雑誌「人権と部落問題」2010年1月号に掲載)

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