陸ちゃんの死(個展「修羅のなぎさ」の感想)
- harunokasoilibrary
- 3月2日
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更新日:6月1日
風のない午後、音も無く木の葉が散る。ぼくは、息もせずに遠くからその一枚一枚の後を追うように見つめていた。(近づけば幽かな音が聞こえたであろう。)音の無い静寂の中で、木の葉は揺れながら垂直に、すーゆらら、すーゆらゆらと落下した。昨日(きのう)まで、木の葉は、太陽の光を全身に蓄えた緑色の生き生きした姿でしかなかった。冥界の使者のような勤勉なビルの管理人は、落ち葉を跡形もなくきれいに掃き清めていた。
ぼくが見つめていたものは、木の葉ではなく、時の姿だった。ぼくは、武満徹に教わった、オーストラリアの少女の書いた『ガーデン・レイン』という詩を思い出していた。
“Hours are leaves of life. And I am their gardener. Each hour falls down slow.”
(時は生命(いのち)の木の葉で、私はその園丁だ。時間が散ってゆく、ゆっくりと。)…
彼は静かにみまかった。いつものように食事をし、水を飲み、彼だけの狭い寝室で、ゆっくりと輪になって声もなく音もたてず眠るようにみまかった。彼はいつもとかわりなく眠りについた。彼がその小さな躰(からだ)をブルブル震わせ無残な姿で足を引きずるように、しかし音もたてずに自分の寝床に帰ってゆく姿が生前の彼を見た最後だった。おそらくその日の晩、彼は息を引き取ったのだろう。魂の抜けた彼の目は、細い月のような形をしていたが、それは尖ったところのない優しい弧を描いていた。今ぼくは、その閉じられた目が彼の魂の形のように感じる。ぼくは後悔した。もっと彼と一緒に居てやればよかった。一緒に遊んでやればよかった。おいしい物をいっぱい買ってきてやればよかった。もっともっと広い場所でおもいっきり自由にしてやればよかった。もっと頭を撫でてやればよかったと。もう一晩そっとしておいて、その小さな骸(むくろ)に彼の魂が戻ってくるかもしれないと奇跡がおこることを空しく祈った。が、次の朝すでに彼の内臓は黒ずんで腐敗が始まっていた。ぼくも、ぼくの家族も、言葉なく、彼の腹部の黒ずみを涙でにじませながら呆然と見つめていた。しばらくして「かわいそうになあ」と力なく涙声で呟いた妻の声の前には、どうすることもできない無力な人間と冷然とした沈黙と彼のやわらかい三日月のような目があった。哀しむ以外にわれわれに何ができるというのだろう。公園の楠(くすのき)の根元に深い穴を掘って、彼の愛した小さな家とともに彼を埋葬した。
穴を掘るときぼくは気付かずに、夏の生き残りの地蝉(ちぜみ)をスコップで真っ二つに切り裂いてしまった。白い柔らかな蝉の幼虫が黒い土の中でちりぢりになってまぶしく光っていた。ぼくは大鎌を持った恐ろしい死神のようなものだ。この罪は何者によって裁かれるのだろうか。知らずに殺したといっても、なんの罪もないものを殺したことにかわりはない。ぼくのような無力な弱い存在が小さな命を奪ってしまったのだ。小さな生命を埋葬しながらこれから生まれようとする命を奪ってしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。これが蝉ではなく人間の幼な児だったらどうするのだ。いやいや今に始まったことではない、今まで何十年の間、ぼくは数限りない命をむさぼり食って生きてきたのだった。ぼくは、他の生命にとって死神でもあるのだ。これは真実である。ぼくは途方にくれ、足元の土を声にならない声を出しながらめくらめっぽうに掘り返していた。
乾いてカサカサした風の中を、力なく、ぼくはぼくの個展会場にむかった。これは会期な

かばの出来事であった。ぼくはこの一年、小さな生命の生と死を視つめ、制作することで、哀しみに押しつぶされないようにぼく自身を励ましてきたのだった。しかし現実は、やはり、どうしようもなく重い。作品なんてものがなんになるというのだろう。足でかたく踏み固めた陸ちゃんの墓の前に佇むと、「彼は墓になったのだ」「彼は土になって木や草に姿を変えて生まれかわるのだ」などという慰めの言葉も虚しく響く。どうしようもなく込み上げてくる寂しさは、どのような言葉でも癒すことはできないだろう。
ぼくが愛し、ぼくを愛してくれた生命は、いつの日か、この寂しさの果てしない大海の中へ吸い込まれていってしまうのだ。彼とぼくを隔てている薄い膜のような大地に佇みながら、ぼくは無言で旅立った小さな動物の代わりに、短い拙い文であってもせめて書き残そうと強く念(おも)ったのだった。彼の死の前では、ぼくの個展なんてものは、取るに足りないことのように思われる。
ぼくの心の中を、木の葉が休みなくゆっくりと散ってゆく。この寂しさもいつの日か、この木の葉が深い闇の中に持ち去ってゆくことだろう。が、しかし、彼の生きた事実は、永遠に消えることはないのだ。そして、彼の死は、ぼくの未来に一条(ひとすじ)の光を投げかけているのだ。
ありがとう陸ちゃん、またね。
(陸ちゃんは、ゴールデンハムスターという仮の姿をした生命です。)
(2001年11月・会員つうしん第56号掲載)


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