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陰陽転転3(2022年七夕書道大会感想)

  • 7月17日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月19日

 このごろ、空や雲だけでなく、何を見ても昔のことを思い出しては嗤ったり怒ったり悲しんだりすることが多くなった気がする。老人になったからだろうかとも思うが、ぼくは少年の頃から昔のことを思い出しては涙ぐんでいたように思う。少年はすでに老いていたのだろうか。

 今朝早く、悲しげなカナカナの声を聞きながらうつらうつらしていた、カナカナの後の小鳥の囀りも淋しげであった。蝉のシンホニ―や鳩の声はまだ聞こえない暗い夜明けであった。これは夢ではない。死がいつも抱っこされた幼い子供のように背中でスヤスヤ眠っているのに気付いた現実なのだ。可愛らしい死よ。コロナやミサイルは現実的な夢なのだ。ギャアギャア騒ぐんではない。これは分かりきった事だけど、死は現実なのだから、夢のように生きようではないか。

 数十年前、ぼくは、万物を構成する四大元素の地水火風を描いたが、それに空を加えて五大(地水火風空)ともいう。五輪の塔は上から空風火水地となる。四大も五大も木火土金水と同じ事だ。

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 先の七夕書道大会で何点かの木火土金水を観たが、なかなか面白かった。その他伎芸天や乞巧奠も面白かった。これらの本命は空であるから字が書かれていないところに、空が描かれているところが大事なのだが、出品者は無意識か意識的かは知らないが、よく表現されていたのには驚いた。何も書かれていない白い余白が空なのだが、その空には音楽や言葉や絵が描かれ詩や歌が聴こえてくれば成功である。余白は白とは限らない、余灰、余黒・・・と呼ぶべきだろうか。もちろん赤・青・黄でもいいのだ。

 

 絵でも書でもそうだが、一本の線なり色を何度も書いていると空間がピリッと引き締まる時がある。この感じが、書の条幅でもそうだが、空間が、(余白と言うべきか)、活きた証である。

 高尚な屁理屈はもうよそう、目の前の現実は美しい。働いている人達は美しい。20階のマンションの建築工事の現場を遠くに見て言っているのだ。屋上の作業員は赤い恐竜の様な大型クレーンの下で蟻のように小さい。その小さな人間達が見る見る鉄骨やコンクリートを組み立てていく。何をしているのか裸眼では細かくは判別できないが、双眼鏡で見る気もしない。人間の本質は蟻や蜂と同じなんだというのが嬉しいような悲しいような真実にぼくは感動するのだ。蟻や蜂の体内には小さな生命がいる。そこからみれば蟻は巨大な建築物なんだろう。

 大小は相対的なもので価値ではない。大きいだけのプロ選手や総理や大統領を良いと思うのは白人コンプレックスの現われである。偉大な芸術家は小さな人が多い。が、しかし大きな人もいるので大小は本質ではない。どっちでも良いということだ。しかし、日本の政党の代表は大きな人が多いのは、国民のコンプレックスへの媚び諂いを計算して選ばれているのだろうか。東大出の映画監督が政治家と同じようにもてはやされているが、小津も黒沢も学歴のない人である。しかし、二人はアメリカ映画や欧州演劇の洗礼を受けた人である。この国は、ぼくの様な人間の出る幕はないのだ。

 小難しい七夕課題だったが、日常の実感のこもった言葉を熱心に書いている姿は尊いし、感動的である。・・・・・・

(2022年8月・会員つうしん第181号掲載)

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