闊歩する勲章犬
- harunokasoilibrary
- 5月23日
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更新日:5月31日
人は年をとると、勲章が欲しくなるものらしい。若い時は勲章のようなものには批判的だった人も、老人になると、コロリとひっくりかえる人が多いようだ。この人は当然、勲章などは辞退するだろう、と思っていた人が、ホクホクした顔で受賞している姿に驚くことがある。

文化勲章受章者や文化功労者に選ばれた人たちの写真を見ると、例外なく、晴れ晴れとした、満足そうな表情をしている。この人たちは科学や芸術などの文化の発展や、向上にめざましい功績のある人たちということらしい。
文化勲章受章者の選考は、文化庁文化審議会の文化功労者選考分科会の意見を聞いて、文部科学大臣が推薦し、内閣府賞勲局で審査したうえ、閣議で決定する。授章式は毎年11月3日の文化の日に皇居で行われ、天皇から直接授与される。

この勲章は1937年(昭和12年)に制定されてから、2012年11月3日現在、372名が受章し、うち3名が辞退し1名が拒否、1名が返上している。辞退した人は河井寛次郎・熊谷守一・杉村春子、拒否した人は大江健三郎である。大江健三郎氏は勲章そのものを拒否したのではないようだ。ノーベル賞やフランスのレジオンドヌール勲章はテレテレして受章しているのだから。
今から100年ほど前の、1911年(明治44年)2月21日は、夏目漱石が、文部省が授与するという文学博士号を、「いらない」と手紙に書いて、文部省の福原なにがしに送った日である。(現在、この日を「漱石の日」と祝う人たちがいる。)
この時代の博士号授与は現在の博士号授与とは制度が違う。現在は各大学で学位を授与するか否かを決定するが、明治時代では、各学問分野の博士会という組織のメンバーが協議して選定し、文部省に推薦し、文部大臣から博士号が授与される、というシステムになっていた。このシステムは現在の叙勲制度とほぼ同じである。漱石の時代の博士号は今の勲章と同じものであったのだ。
2月21日の手紙で漱石は「・・・小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります。・・」と授与を辞退したが、文部省に聴き入れられなかったので、再び、
4月13日に福原なにがし宛に「・・・小生は目下我国における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑑みて、現今の博士制度功少くして弊多き事を信ずる一人なる事をここに言明致します右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手元迄御返付致します。」と授与を固辞した。
さらに『東京朝日新聞』の明治44年4月15日の文芸欄に、「博士問題の成行」を発表し、「・・・余は、博士制度を破壊しなければならんと迄は考えない。然し博士でなければ学者でない様、世間を思わせる程博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽くすに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却される結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余は此意味において仏蘭西にアカデミーのある事すらも快く思って居らぬ。従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。此事件の成行を公けにすると共に、余は此一句だけを最後に付け加へて置く。」と書いた。
漱石は文部省や国家権力に逆らっただけではない。博士号のような権威や肩書きのような虚飾に媚びへつらい、価値をみとめる世間一般の常識に、来るべき人間性の破局への警鐘を鳴らしたのである。そのような虚栄を否定して、自分の目で見、耳で聴き、自分の頭で考える、個性的な人間性を認め合える、いかなる権力よりも個人の意思が尊重される自由な社会の実現を、漱石は夢みていたのだろう。
この博士号授与辞退のとき、漱石は44歳であった。まだ青年のような年齢ではあるが、49歳でこの世を去ったのだから、晩年である。
1914年(大正3年)「私の個人主義」と題する学習院での講演で47歳の漱石は「・・・個性の発展がまた貴方方の幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支えない位の自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。それが取りも直さず私のいう個人主義なのです」 と語っている。
漱石の博士号辞退から100年ほどたった現在、勲章と肩書きという、権威が幅を利かす社会は、廃れるどころか、ほとんどの文化人と呼ばれる人たちが、勲章と肩書きを胸にぶら下げて、国家に飼われた犬のように、ホクホクと闊歩している。

芥川龍之介は『侏儒(しゅじゅ)の言葉』(1923年・大正12年)の「小児」の中で「・・・軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅(ひおどし)の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなった者ではない。勲章も――わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」と書いている。
漱石や芥川は若かったのであろうか。彼らも年をとったら勲章を欲しがったであろうか。ぼくはそうは思わない。思いたくもない。信じられる芸術家や学者が一人でもいなければ、文化や芸術は、空しい我楽多(がらくた)に過ぎなくなるだろう。
勲章の種類によって、人間を位階に仕分けして、優劣を決定され、他人より偉いと褒められて、権力にシッポを振る犬のような人間が、憲法9条や自由、平和、民主主義を語る資格があるのだろうか。
耳にやさしい言葉と文化人ほど信用できないものはない。
(2013年10月・会員つうしん第128号掲載)

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