遠くない国
- harunokasoilibrary
- 5月18日
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更新日:5月31日
1980年の総理府世論調査では、中国に「親しみを感じる」人が、78・6%もあったが、1996年には45・0%に減り、中国に「親しみを感じない」人は51・0%になった。2010年10月の内閣府調査では「親しみを感じない」人が77・8%を占め、2012年11月24日に発表された内閣府調査では、「親しみを感じる」人が18・0%にまで減少し、「親しみを感じない」人が80・6にもなった。これらの調査結果を、そのまま鵜呑みにはできないが、過去30年のあいだに、「親しみを感じる」人と「親しみを感じない」人が逆転するほど変化したことは確かだろう。
昨年にひきつづき、今年も、二週間ほどだが、中国(ジョングオ)に行ってきた。
西安、漢中、洛陽、太原、鄭州、武漢から南昌へ、そして、景徳鎮を経由して黄山に登り、杭州、蘇州を経て、上海から帰国した。
空路を除いて、3600㎞ほどを移動したことになる。移動は、主に高速鉄道と高速バスによった。
どこかにころがっていないかと探してみたが、反日感情などはどこにもころがっていなかった。どこでも中国人は親切で優しかった。僕が日本人だと分かったら、昨年と同じように、喜ぶ人ばかりであった。
あたりまえの話だが、これは僕と袖をすり合わせた、ほんの一握りの中国人のことである。これをもって、反日感情など、どこにも無かった、と言っているのではない。運良く、出会わなかっただけであろう。
ただ、長距離バスの中で放映されていたテレビドラマには失望した。それは、1944年、大戦末期の中国が舞台で、見るからに残虐で、汚らしい、鬼畜生(おにちくしょう)のような日本兵に、中国の少年たちが団結して戦い、そして勝利する物語であった。やたらと、小日本(シャオリーベン)、小日本と叫ぶ少年のことばが耳に残った。小日本は日本に対する蔑称である。僕は、恥ずかしくて、大きな座席に、ダンゴムシのように、小さく丸まっていた。このようにして反日気分がすり込まれてゆくのであろうか。歴史を正しく捉える努力をせずに、人間を分離させ、憎しみを増幅させ、不信ウィルスをまきちらす為政者や学者や文化人を赦すことはできない。被害者は中国の民衆である。
ながいあいだ、書を学び、中国の歴史をも学んできたが、僕は中国人が特に好きなわけではない。五月蠅(うるさ)い、きたない、臭い、マナーを守らない、そのような無神経な中国人には、無性に腹が立つし、何かなじめないところも感じる。しかし、だからといって、世界のどこにも、特に好きな国や人種がいるわけでもない。
そもそも、僕は、国や人種や民族などなかったら、どんなにスッキリすることか、とさえ思っているのだ。それは現実的ではないが、しかし、僕の考え方の核には、普遍的人間しか存在していない。具体的には、皮膚の色も違い、言葉も違い、国境があり、固有の歴史や文化もあるのだが、それらは、人間の多様性であり、本質的な違いではないように思う。
西洋と東洋の違いが強調され、西洋は、自然を人間の敵のように考え、自然と戦い、自然を征服しようとするが、東洋は、人間を自然の一部と考え、自然と調和し共生しようとする、とか、西洋人は人種差別思想のもと、植民地を収奪し、ため込んだ富で産業革命を起し、圧倒的な暴力で世界を支配してきた、などと言う人がいるが、僕は、そうは思わない。
たまたま、西洋人が、科学と科学技術を、発展させ、先導する役を担っただけで、もし西洋でそうならなかったならば、東洋なりアフリカなり、どこかの人間が科学技術を先導し、植民地を収奪したことであろう。
人間の歴史を振り返ってみると、まるで戦争の歴史のようで、人間には失望してしまうが、永遠の平和を願い、すべての人びとの幸福を実現するために闘ってきたこともまた、事実であり、真実ではないか。
今では、多くの人間が、始皇帝の愚かさに学び、独裁者の嘘にも学び、世界の海を駆け巡った帝国主義という海賊にも学び、核爆弾という科学技術の無意味さに学び、何億という暴力の犠牲者からも学び、嫌になるような人間の行状に、幻滅しながらも、ねばり強く、諦めないで、理想を掲げ、何度も倒れては立ち上がり、地球や、いのちや、自然の大切さに気づき、希望を描きながら、生きつづけてきたのではないか。

自分だけが正しいなどと自惚れてはいけない。自分の中には正義しかないなどという輩(やから)は、大嘘つきである。自分の中にある、偽善者や暴力に気づかねばならない。残虐な侵略者と同じ心が、自分の中にもあることを凝視(み)つめなければならない。そのためには、利害関係のない位置から、ありのままの人間の歴史を学び、冷徹に人間の在り様を学ぶのが一番かもしれない。ありのままの歴史を学ぶところから、新しい人類の歴史が刻まれるのである。
おもわない所に、想いが飛んでしまったが、中国は魅力ある国であった。人びとは、僕と、ほとんど変わらない表情で、優しく、思いやりがあって、汚れた服装の人も、きれいな人も、一生懸命生きていた。

僕は感動した。
山も汚れた河も、とてつもなく美しかった。
一党独裁なんて愚かなことは、そのうち、無くなるだろう。
中国は地球であった。
太陽も月も澄んだ空も、地球の景色だ。
僕たちと同じように、中国の人びとも、激流を渡ろうと、
懸命に生きている。
神 「きみよ、あなたは激流をどのようにして渡ったのですか?」
尊師「友よ。わたしは、立ち止まることなく、あがくことなしに、激流を渡りました。」
神 「きみよ。では、あなたは、どのようにして、立ち止まることなく、あがくことなしに激流を渡ったのですか?」
尊師「友よ。わたしは立ち止まるときに沈み、あがくときに溺れるのです。わたしは、このように立ち止まることなしに、あがくことなしに激流を渡ったのです。」
(ブッダ「神々との対話」―サンユッタ ニカーヤⅠ―
第一集・第一編・第一章・第一節激流より。中村元訳、岩波文庫)
(2012年12月・会員つうしん第123号掲載)

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