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諸塾(もろもろじゅく)

  • harunokasoilibrary
  • 4月25日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月1日

 三回目の諸塾(もろもろじゅく)が終わった次の日は朝から雨だった。氷雨(ひさめ)のなかの木木は、昨日まで赤赤と燃えるようであったが、嘘のように茶色く変色して見るかげもなかった。一日にして変わってしまった木木の装いに、私は新しい冬がやって来たことを実感した。

 去年の冬、私は焼物に没頭していた。そして、作陶の過程で大量にできる土屑(つちくず)やドベで土壁(つちかべ)を作りそこに文字を書くことに熱中していた。きょうの暮らしもままならぬ身なのに、この仕事は永遠に続くように思われた。その時このような塾を始めることなど心の片隅にも無かった。

 

 夏に知人から頂いた数匹のメダカが秋にはその何倍にも殖(ふ)えた。飼育していてその生命力に驚いた。餌をやると競い合って食べる。孵化(ふか)した吾が子まで食べてしまうので、毎朝、産卵された卵を別の水槽に移さねばならなかった。この作業は秋遅くまで続いた。その間稚魚(ちぎょ)はどんどん殖(ふ)えていった。餌(えさ)をやりながら指で水面を軽く叩いてやると、浮き上がってきて口先をパクパクしながら指の先に触れてくるものもいた。警戒心の強い魚だが、人懐こいところもあるようだ。日に日に成長していく生き物を見つめることは楽しいものである。永遠に成長は続くように思われたけれど、夏が過ぎて涼しくなってきた頃から親たちがあまり水面に現れなくなってきた。そして雨が降るごとに寒さが増していった。すばしっこかったメダカたちも寒くなるにつれて動きが鈍くなってきた。水底(すいてい)近くで静かに動いている。餌も余り食べなくなってきた。水底で石のようにじっとしたまま冬を遣(や)り過ごすのであろうか。春にはどれほどが生き残っていることであろう。

 

 私も、ちょうど、このメダカの様であった。作品をどんどん産卵し、旺盛な生命力で、孵化した作品までも、メダカの親のように自ら食って成長してきたように思うけれど、いつのまにか冬がやって来て動きたくても動けなくなってきたのである。冬なのだからしかたがない。メダカのように水底でじっとして冬を遣り過ごすしかない。必要最小限の食べ物と衣服を頂き、出来る限り誰にも会わず、出掛けず、口も利かず、水槽の底のように狭い空間で、死んだようにじっとして生きていかねばならない。私はそのように覚悟を決めていた。

 

 いつ頃であったか、私に書道を教えに来てくれないかという話しがあった。しかし、前述したように、冬眠に入ろうと考えていた私は生返事(なまへんじ)をするしかなかった。この話しを忘れかけた頃、再び、今度は、どこか会場を借りて場所を設けるから、月一回でも話しに来てくれないかという話があった。

 私のような貧しいあんぽんたんの話を聞きたい人があるのかと耳を疑った。また、私には人に向かって話すような何ものも持ち合わせていないように感じられた。そして、出来ることなら人前に出たくない赤面恐怖症もあった。

 

 この話しをすすめてくれた人達は、私の作品を誰よりも高く評価してくれている人達であった。この人達に対して、私はひと時も「ありがとう」という気持ちを忘れたことがない。以前から、この人達と、年に一度か二度くらいしか会えないことを私は寂しく思っていた。恥をさらす事になるかも知れないが、頑張ってみようと心が動いた。何を話していいか分からないので、とりあえず、書道「もろもろ塾」と名づけ、書道にまつわる雑談をすることに決めたのである。

 十月から始めることになった。いざ、話のための準備を始めてみると、私はおのれの、書道に対する無知さにすぐ気付かされた。何十年も書道を学んできたつもりだったが、私は何も知らなかった。準備の過程で知ることも増えたけれど、解らないことも倍増した。こんな事で何を語るというのか、恥ずかしいかぎりであった。

 私は、先入観を捨てようと思った。私の前には未知の世界が横たわっている。その世界には、何かとんでもない財宝が隠されているような気がする。そこに到る道には、遣唐使の前に立ちはだかった荒海のような危難が待ち構えているような気もした。しかし、私は危険の前で武者震(むしゃぶる)いした。そしてそれが以前からの私の宿題であった事に気付いた。

 

 書道とは何か。書くとはどういうことなのか。世界とは何なのか。生きるとはどういうことなのか。真理とは何か。・・・

 私はいよいよ決着を着けなければならないと思った。曲芸師が綱渡りするような危ない道を私は歩いて行こうと思った。この様な危険な道に私を引っぱり出してくれた人達に、運命のような優しさをしみじみと感じたのであった。

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 きょうの暮らしもままならぬ私に、少しでも慈雨を注ごうという親切に感謝の言葉もない。しかし貧しく孤独な冬には緑の葉も紅い葉もないけれど、飾りをとりはらった、この上なく神神(こうごう)しく威厳のある、裸になった木木の姿を見ることも出来るのだ。

冬は滋味のあるものである。

(2007年12月・会員つうしん第93号掲載)

 

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