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美のイノチ満つ

  • harunokasoilibrary
  • 6月5日
  • 読了時間: 6分

 小さなボートのような漁船に乗って、私は、老人と二人っきりで、静かな海中に釣り糸を垂れていた。船は海面すれすれにまで傾いていたが、怖くはなかった。二人は、何か話していたのだろうか、海の色と同様に、何を話していたのか思い出せないが、私たちは、楽しくて笑い続けていた。朝早かったのだろうが、時間は存在しないかのようであった。色はなかったが、ただ、乳白色のあたたかい光につつまれて、ゆうらり、ゆうらりと、ゆられながら、私は、釣り糸を垂れ、笑い続けていた。不思議な白い光につつまれた、私の二歳半の頃の、この上なく幸福だった記憶である。

 

 私は、故郷を遠く離れ、見知らぬ街に引越した。私は、言葉の通じない、生活習慣も違う異国に来た少年のようであった。何もかもが一変した。私をつつんでくれていた親密な光は消えてしまった。私は途方に暮れ、不安と一緒に歩き回った。不安を追い払おうとしたが、不安は、君と僕とは親友なんだよ、と優しく囁(ささや)きながら私につきまとった。

その時、私は、ひとりぼっちであった。父も母も妹も友達もいなかった。不安のすきをみて、私は一人で公園に行った。そこには誰もいなかったが、小さな草むらが点々とあり、その草むらでは、懐かしい旧友たちが楽しく遊んでいた。私は嬉しさのあまり虫になり、地面に這いつくばって、草むらから草むらへ、ピョンピョンと跳ねて遊んだ。旧友とは虫たちのことである。限りなく時が過ぎたころ、空から誰かの声がきこえたように感じ、ふりかえって見上げてみると、そこには乳白色の光りしかなく、私は、その、この上なく、あたたかく、やわらかい光につつまれて、気を失うかと思うほど恍惚となり、幼いころ見た、小舟をつつんでいた白い光を思い出した。何か分からない強い力が体内に漲(みなぎ)るのを私は感じ、よろこびと一緒に歩いて、私を待つ母の許に帰って行った。私の五、六歳の頃の記憶である。その後、永いあいだ、不安は現れなかった。

 授業を抜け出して、私は、一人、図書館の書架(しょか)の隙間(すきま)に逃げ込んでいた。道を見失い、友もなく、孤独で、さびしかった。行き場がなかった。紙魚(しみ)に変身して本の中に住みたかった。どうして、このような所に私は逃げ込んだのだろうか。今、思い出せば、何か大きな力に導かれたとしか思えない。私は、なにげなく、目の前にあったヘルマン・ヘッセの『知と愛』を手にして、読むでもなく、パラパラとページをめくった。気になる文章が目についた。そこには、私と同じように、感じたり、考えたりする少年がいた。私は、ひとりぼっちではないと感じた。その生命(いのち)にあふれた自然や農村の描写が、私に幼年時代の記憶を呼び起こした。そこでは、まだ、ほとんど、言葉も知識も芸術も教育もなかったが、すべてが光り輝いていた。世界は魅惑的であった。そこには平凡なものなど一つもなかった。蛇の眼も蜘蛛(くも)の脚も草木や山川や雲や風や雨にも、名前など必要がなかった。その色や形や動きや音がすべてを物語っていた。私はそれらと同じものであった。すべてが平等であった。世界のあらゆるものが私に微笑(ほほえ)みかけ、私も微笑みかえした。私が十六歳頃の、この出来事は、私の根源にある最も大切なものを思い出させた。

露玉(つゆだま)
露玉(つゆだま)

すばらしいことが

あるもんだ

ノミが

ノミだったとは

ゾウではなかったとは(まど・みちお「ノミ」)


 

「アリや菜の花と呼ばれているものの存在そのものを感じたいと思うなら、名前にとらわれないほうがいい。だから私は、名前を離れ、自分の五感のすべてを使って、名前の後ろに隠れている、ものそのものの本質に少しでもちかづきたいと思っておるんです。・・・どんな存在も限りなく不思議で複雑だから、この世の中には不思議でないもの、複雑でないものなんてないんですよ。」「ほとんど毎日のように、新発見に出合いますよ。いつも通っている道、見慣れた景色だと思っても、もうほんとに驚くことばかり。一日として同じじゃあないんですから。」(まど・みちお『いわずにおれない』より)

まど・みちお筆「ゾウ」1977年
まど・みちお筆「ゾウ」1977年

ぼくが ここに いるとき

ほかの どんなものも

ぼくに かさなって

ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば

そのゾウだけ

マメが いるならば

その一つぶの マメだけ

しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは

こんなに だいじに

まもられているのだ

どんなものが どんなところに

いるときにも

その「いること」こそが

なににも まして

すばらしいこと として(まど・みちお「ぼくが ここに」)


「芸術は哲学から借りるものは何もない。世界の中心にある魂だけが源である。芸術の本質は未知のものだ、生の本質と同様に。・・・」

「芸術家の才能を、正義の観念や道徳の観念に従わせるのは大きな誤りだ。それは思弁に傾く知性が、芸術家の自由な直覚を曇らせる場合に生まれる誤りである。」(ルドン『私自身に』日記より)

「作品を教育に役立てようと思うと、画面が間違った道に陥りやすい。絵は何も教えない。人を引きつけ、驚かし、心をたかぶらせるものだ。知らず知らずのうちに、愛情をもって、美とともに生きる要求の方に人を導く。精神の姿勢をただすこと、それがすべてだ。」(ルドン『私自身に』日記より)

「芸術を政治的、あるいは道徳的意見に縛りつけてはならない。反対に、芸術は哲学者に、思想家に、学者に、あるいは神学者にすら、思弁と愛のための材料を提供しなければならない。」「・・・明晰な知性に蓋をして、・・・描くこと、描くこと、それだけです。絵筆を持って絵具をこねることにひたすら没頭して、疲れたら何も考えず、“パイプをくゆらす”ことです。・・・モデルを研究するのは・・・鉛筆や絵筆を手にして、能う限りの理性や知能を働かせてするのです。・・・分析のしすぎは無力です。」(ルドン『私自身に』日記「1909年」より)

「党派に属することは、袋小路に入ることだ。出口は、自らの自由を沈黙させることよりない。芸術批評は創作の役に立たない。芸術家は何の利益もそれから得ない。源泉は彼自身だ。彼は独立独歩の活動的な産出者であって、自分の道を行き、かくれた直覚によって道をひらく。」(ルドン『私自身に』日記「1915年」より)

 57歳頃の、まど・みちおさんが、

「オレが抽象をやりたいのは・・・自然の美がもつ『法則』や『秩序』や『原理』やそういうものを師とあおぐ新しい美の法則、秩序、原理などを、この手で結晶させたいからだ。外形、外観などという模倣を強いるものを取り去って、その根底に巌在する美のイノチ、そういうものに呼応するものをこの手で定着させたいからだ。」(「へりくつ3」ノート・1967年1月)

と、述べていられるが、

私は、抽象作品だけでなく、自然の外観や外形に感動してきたし、それを模倣したような作品にも感動してきた。「伝統」などに対しては嫌悪しかないが、過去の、それほど多くもないが、芸術作品や芸術家に、芸術家として生き続ける勇気をもらってもきた、しかし、出来得るならば、私は、過去をすべて初期化して、ゼロから始めたい。絵の描き方や書の書き方や詩のかき方などは、もともとなかったものではないか。

芸術において最も大事なものとはなんであろうか。それは、人間が生きていく上で最も大事なもののことでもあるだろう。


とにかく 筆をもとう

書くことが 考えることである

筆から言葉が生まれるのだ

言葉からではない

(2016年4月・会員つうしん第143号掲載)

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