美しい武器
- harunokasoilibrary
- 7月3日
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悪意に満ちたこの世で、個展などするものではない。と、思うけれど、私は芸術で生きている者だから、針の筵(むしろ)の上でも、血を流しながら歩くのが商売なのです。
作品は希望の光で輝いていたのだけれど、人気の無い寂しい個展でした。
私が、やっと見つけた世界の真実をフォルムにして、この絶望的な世界に少しでも光を燈(とも)したつもりだったけれど、独りよがりだったのかも知れません。
多くの人は豊かで、絶望などとは無縁で、楽しく暮らしているのでしょう。
人の来ない個展でしたけれど、それでも、私は嬉しかったのです。
たった数人ですけれど、私に好意を持ってくれている人がいることが、目で分かるのです、好意があることが、そこには信頼があるのです、目に優しい光が溢れているのです。言葉ではありません。言葉は、ほとんど嘘ですが、目は誤魔化(ごまか)せません。
何人かの頭の良い人達が私に好意を持っていてくれることが分かった個展でした。もちろん、その方達は頭が良いだけではありません。清い魂を持っておられるのが分かりました。それが、貧しく寂しい個展でしたが、私には救いでした。
もっと表現力を磨いて、この世のすべてをフォルムにしたいと思いました。美を見つけて届けたいとも思いました。私にできることはそれくらいしかありませんから。
私は、現代を描きたいのです。
出来ることなら、書で現代を表現し、現代の問題を解決したいのです。もちろん、実際的に解決するには政治や科学の力が一番かも知れませんけれど、政治だけでは、人間は救われないと思うのです。物質的に、どんなに恵まれていても、魂が汚れていては救われないと思うのです。魂を清く光るように磨かなければ、人間は幸福にはなれないと思うのです。魂を磨くには宗教も良いのですけれど、私は、芸術が一番だと思うのです。
そうは言っても、手本になるような、頼りになる芸術家は、現代、ほとんどいませんでしたから、私は、救いを求めて、時代も国も違う魂の芸術家を探し回ってきました。
本当は、孤独になって、己の心の弱さと戦い、己を磨けば良いのでしょうけれど、私は寂しがりやの弱虫ですから、時空を越えて、自分の同類を探し求めてきたのです。
江戸中期に活躍した俳人で画家の与謝蕪村がその一人です。
蕪村は『春泥句集序』のなかで、弟子の召波(しょうは)に、俳諧の要訣は如何(いかん)、と問われ「俳諧においては俗語を用いて俗気から離れることが大切である、俗気から離れながら俗なものを自由に活用する、この『離俗』という法則が最も行い難いのである。」と答え、さらに離俗の方法について問う召波に、「詩をひたすら問題にすればよい。」と答えています。さらに召波は、俳諧を押しやっておいて詩を問題にせよとは、なにか迂遠(まわりどおい)のではないでしょうか、と問い返すと、蕪村は「画家に『去俗論』というものがある。こうである。画から俗気を去るには唯一の方法しかない。多く書を読めば、書巻によって養われた気が自ずから生長し、本来の世俗的な気が自ずから減退する。学ぶ者の心すべきことである。画の俗気をとり除くにさえも、一旦筆を捨てさして書を読まさすのである。」と教えています。
さらに召波は、昔から多くの大家が門戸を樹てているが、どこから入門すれば良いか、と問います。蕪村「俳諧には一切門戸は無い、全体を掩う俳諧門というのを唯一の門戸とするだけである。」と答え、諸流派をことごとく学んで、「結局は、自己の胸中の実感いかんと反省してみる以外に方法は無い。しかしながら、常に芸道の友とすべき人を選んで、芸道にふさわしいその人柄と交渉し続けてゆくのでなければ、自己の胸中の実感に問うという芸道の自己独特の境地に到達することはむつかしい。」と答え、さらに召波が、その友とすべきものは誰々ですかと問えば、四人の先輩の名をあげて「日々この四先輩に会い、なんとかして市井名利の巷から身を逃れ、打ちつれだって林園に遊び山水の間に宴を張り、酒を酌み交わし談笑するというようにすればよい。」と答えています。さらに「むしろ句を手に入れることの方は関心事とせず、ひたすらなりゆきに任しおくのが賢明である。日々かくのごとくしていって、さて、ある日また四先輩に会ってみる、すると君は依然として奥深い歓びや雅びやかな気持を味わうに相違ない。その際に君は眼を閉じて一心に句作に耽ってみるがよい、やがて句を得て徐ろに眼を開けてみる。たちまちそこに居たはずの四先輩が存在を消してしまったのを発見する。・・・唯君自身が孤り恍惚としてその場に佇んでいるばかりである。折から花の香は風とともに軟らかく通って来、月光は明あかと水に浮かぶ。その時の体験が、ほかならぬ到達し得た君独自の世界・境地なのだ。」と教えています。これは、隠遁を好む文人画家らしい考え方でしょう。やや偏った考え方かもしれませんけれど、芸術は広く誰にでも開かれていること、俗と聖の関係性、名利を求めない高潔な人格の尊重、自己独自の境地の大切さ、など芸術を学ぶ者にとって参考にもなり、大きな励ましにもなるのではないでしょうか。
俳人の中村草田男(くさたお)は、著書『蕪村』の中で、蕪村の「いな妻や波もてゆへる秋津島」の句と「不二ひとつうづみ残してわかばかな」の句を比較して、不二ひとつ・・・の句を「創作の動機が純粋な詩情に発しないで、理知の操作に依っているためついに低俗な作品に堕している。」と批評しています。それはその通りだと思います。純粋な詩情のないものは、芸術の名に値しないでしょう。それが、芸術の誠(まこと)だと、私は感じます。

しかし、画家のパウル・クレーの「造形思考」は大変理知的なものですけれど、彼の作品は純粋な詩情に満ちているようにも、私には感じられます。理知即無詩情とは言えないのではないでしょうか。ただ、クレーの言葉だったかはっきりしませんけれど、「いかなる知識も・・・表現するために必要な武器を身につけていなければわたしたちには用をなさない・・・」ドイツの画家パウル・クレーも、私を救ってくれた魂の芸術家の一人です。
(2019年12月・会員つうしん第165号掲載)

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