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純觀音(じゅんかんのん)―小原純子(こはらじゅんこ)さんのこと―

  • harunokasoilibrary
  • 6月8日
  • 読了時間: 5分

 小原さんは何度か入退院をくり返されていました。今度もまた、すぐ退院してこられるだろうと思っていましたが、今度は、いよいよ危ないかも知れないと、風の便りに聞きました。そこで、励みになればと、生と死をテーマに会員通信のための随筆を書きました。それを印刷して、病室の小原さんに届け、誰かに小原さんの前で朗読してもらって、少しでも、死んでゆく人の慰めになればと思いました。最初は、10月12日に印刷して、その日のうちに面会しようと考えていましたが、何か、それでは、いけないような気がしまして、10日に印刷して、その日の午後3時頃に病院に行きました。

 小原さんにお会いしたのは、ずいぶん久しぶりです。何度か、お話に行きたいと思いましたが、いろいろな事情でかないませんでした。

 ベッドの小原さんは変わり果てたお姿でした。体重は28キロほどしかないとのことでした。夢の世界を漂っておられましたので、随筆を置いて、帰ろうと思いましたが、看護師さんが慣れた手つきで現実につれもどされ、お話しすることが出来たのでした。お話ししたと言いましても、声を聴き取ることはほとんど出来ませんでした。ただ一言「おおきに」と言われたようでした。私が来たことが分かりますかと問いましたら、かすかにうなずかれました。一滴、おもわず涙がこぼれました。小原さんは、不思議そうに、私の涙を見ておられるようでした。「個展に小原さんの肖像書を書いて出品しますから、来てくださいね」と言いましたら、意味がよく解らなかったのか、眠たそうに細くなっていた目が、一瞬大きく開かれてキラッと輝きました。「しんどいですか」とおききしましたら、うなずかれ、また夢の世界にもどられたようでしたので、これが最後だろうなあと、思いながら、おいとますることにしたのでした。

「新生悲」下書き
「新生悲」下書き

 後でききましたら、私が面会した数時間後に意識不明になられたとのことでした。次の日、やっぱり、もう亡くなられるのだなあ、と、一人で、さびしく思いながら、小原さんの肖像書の構想を考えていました。なかなか構想がまとまりませんでしたが、13日の夜、書のイメージがはっきり決定されました。少しほっとして、明日から時間が許す限り描きつづけ、仕上げようと思い、ぐっすりと眠ったのでした。

 翌朝、パソコンのメールを見ましたら、「今朝5時すぎに小原さんは逝かれました」と連絡が入っていました。

 私は不思議に思いました。構想を決定する3日間、小原さんはまだ生きて居られて、私のそばに居られたのではないのか、いや確かに居られたのだ。なかなか上手く出来上がらない構想を、目に見えない力で導いてくださったのではないか、いや導いてくださったのだ、と。

 この日から1ヶ月ほどかけて作品を仕上げ、個展に出品したのです。

 出品しました小原さんの肖像書は「純觀音」と「新生悲」の2点です。それぞれに「小原純子さんの霊に捧ぐ」とサブタイトルがついています。書かれた言葉には、小原さんと私との思い出が込められています。出会いましてから20年近くになりますから、思い出のすべてを語る事は出来ませんが、少しだけ述べてみます。

 「新生悲」は野のはな書展に出品するために、小原さんは、始め「新生」と書かれていましたが、上手くゆかず、最終的には「生」を省略して、「新」とだけ書かれ、出品されましたことにつながっています。これが小原さんの最後の出品作になりました。思い出しますと、小原さんは、永遠の青年といいますか、いつも、新しく変身することを願って居られたように思います。

「純觀音」下書き
「純觀音」下書き

 「純觀音」は「小原純子観世音菩薩(こはらじゅんこかんぜおんぼさつ)」の略です。この言葉は、小原さんが世界の生きとし生けるものの声に、耳と心を傾けて居られた人間性から来ています。それと、私との関係でいいますと、ある時、小原さんから「日本国憲法第九条」を書いてくださいと頼まれまして、嫌でしたが、観音様ににらまれた孫悟空のような気がし、観音様に言われたのでは、断るわけにはいかなくなりまして、ついに書いてしまったことにつながります。

 

 私が小原さんの肖像書を制作している同時期に、春汀さんが、小原さんの約20年間の書の歩みを、野のはな書展出品作を中心に、作品の写真と作品制作後に書かれたコメントなどを、小さな冊子にしようと、編集をしていました。私は11月の個展のための制作の途中でしたが、ほぼまとめられたその冊子の原稿を読み、多くの、忘れかけていた、かけがえのない、大切な、小原さんの記憶を思い出しました。この冊子の御蔭で、思い出した様々な記憶と感情を作品に塗り重ねてゆくことが出来たのでした。それは、私にとって小原さんが、どんなに大きな存在であったかを、思い知らせてくれました。「憲法九条」を書いたこと、それが「美しき森」の連作に展開していったこと、「てふてふの会」を作られたこと、「もろもろ塾」が始まったこと、これら、すべて、その始まりは小原さんでした。そして、私の才能を誰よりも高く評価し、信じてくださったことを忘れることは出来ません。

個展「OVER THE MARGIN-彼岸へ-」の展示風景
個展「OVER THE MARGIN-彼岸へ-」の展示風景

 私は、この冊子の原稿を読みながら、自分が恥ずかしくなりました。小原さんほど、書に対して、また人生に対して、真摯でなかったことに。

 私は、小原さんの夢みられたことや願いに、深く思いを致し、書の道を歩いて行こうと思います。純観音様に睨(にら)まれながら。

(2016年12月・会員つうしん第147号掲載)

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