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第5回野のはな書展(1998年10月31日~11月1日)

  • harunokasoilibrary
  • 3月11日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月1日

ごあいさつ

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大輪の美しい花のかたわらに人知れず咲く野のはなほどの小さな書展に立ち止まってくださりありがとうございます。かすかな風にゆれる道の辺の名も無き野の草の葉ずれの音は、ただの小さな音にすぎないけれど、立ち止まって耳をすます人には、人の世の喜びや悲しみの音の響に聴こえるかもしれません。道のほとりにひっそり咲く野の草の一本でも手にとってよくごらんになってください。驚くほど美しい不思議な世界をそこに発見されることでしょう。それが強い風に吹かれて身体を弓なりにそらしながら苦しまぎれにおもわずあげた呻吟しんぎんの音の響も聴こえるかもしれません。新しい発見や忘れていた古い発見が、あなたを今までより少し大きくし、豊かにしてくれるなら私たちにはこれ以上の喜びはありません。作る人も視る人も作品を中にはさんで共に大きくなれる書展でありたいと願っています。      

春野海客

(目録掲載の言葉)

 

第5回野のはな書展の感想                    春野海客

昨年の書展の私の感想文(「総評」)が功を奏したのか、今回展では出品者がグーンと減ってしまった。私がかなり真剣に批評したせいで反発を買ったのかもしれない。真剣でまじめなものに反発するとは愚かなことである。私の意図は、出品者に向上してほしいだけであったが、私より人生経験豊かな皆さんにお説教じみたことを申し上げたのがいけなかったのかもしれない。それにこりずにまたぞろ感想文を書くということはいささかしんどい。しかしひとりでも私の話に耳を傾ける人がいる限り、その人に向かって私は重い口を(そう重くもないが)開かねばならない。

前の感想文はあれでもひかえめに発言したのであって、ほんとうは怒り心頭に発するほどの作品や制作ぶりを前にして二度と書展になど関わりたくないと思うほどであったのである。幸いなるかな今回はよかった。出品者は減ったけれど、ゆるんだ作品は一点もなかったし、レベルはいろいろだが向上心のあるエネルギッシュな作品ばかりだった。これならこれから何かが出来ると希望を持って来年に向けてがんばれると思った。

 

ところで前回展で私は次回展に向けての課題をいくつかあげておいた。それをもう一度みてみよう。

書く力を鍛えること。これはおおむねよし。

書字の原理・原則を深く理解すること。これはまだまだ。

書こうと思う言葉に対する切実な思い。これは玉石ぎょくせき混交こんこう。

創作とその発表の意義を正しく理解して書展に臨んだか。?

見る力を鍛えること。牛の歩み。

以上の点について私の提案を重く受けとめてくれた出品者は数少ないが、不充分ではあっても今回の出品者の多くは自分なりに真しに努力したのではないかと私は感じている。

見る力(鑑賞力)は普段の学習の積み重ねが最も大切であることはいうまでもないが、31日に行われた学習会では、創作と表現と臨書にとって最も重要な見ることについて学んだのだが、こんな機会はもう二度とないと思うと多くの人が参加できなかったことが心残りである。しかし時は待ってはくれない。先へ進むしかない。これも何かの縁えにしだろう。何らかの理由による愛情の欠如が、二度とめぐってはこない時を失わせたのかもしれない。私にはどうすることもできない。天におまかせするといったところか。

その他の書く力、原理・原則、言葉への思い等は、ふたたび次回へむけての課題であるが、それはもちろん日常的に深めていかねばならない。

以上の課題の他に新たに三つの今後の課題を付け足しておこう。一考願いたい。

一つは、臨書を通して表現の歴史に触れること。表現というものは「一」の字の起・走・収筆のように、前代からの表現を受けつぎ、起筆し、次代への予言を含みつつ書き終えることである。かならず前を受けつぎ新たに何かを付け足し、時代の限界も背負って未来へ向かって成立している。このあたりを学習すること。

二つ目は自分の創作のレベルが書史上どのあたりのレベルに位置するかを考えること。創作はかならず書史のどこかに位置するのである。位置がないならばそれは書ではないと思えばよい。

三つめは書の表現を先へ進めること。これは現代の書すべてにとっての課題である。今生きている姿を自由に表現すればよろしい。実験をくりかえすぐらいのエネルギーの爆発を期待する。

もう一言。今回は、雁塔・松風閣・書譜の原寸全臨のような力作を筆頭に、臨書作品が一歩前進したことは意義深いことであったと思う。創作に関しては、日常的に創作のテーマを持つことが不可欠である。おしりに火がついてから考えるようではお話にならない。肝に銘じておいてほしい。さらにお説教を一言。お体裁ばかり考えているようなにせ者ではあきません。自己を厳しく教育できる人になってもらいたい。

さらに次回は臨書や創作が書の奥深さを提示することをも期待したい。

(1998年11月・会員つうしん第37号掲載)

 

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