第25回野のはな書展(2019年4月3~7日)
- harunokasoilibrary
- 6月29日
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浮いた口上

「書」は文学ではありません
読まないでください
あなたの想像力がすべてです
説明を求めないでください
もし、芸術作品ならば
作者の世界観や価値観が表現されているはずです!
あなたの想像力を全開して作品を再生してください
「書」は言葉ではありません
代表 春野かそい
(出品目録掲載文)
第25回野のはな書展感想

まず、出品者に、お礼を言わなければなりません。
出品者が年々減少し、書展運営が厳しくなるなか、第25回展が実現出来ましたのは、出品者の皆様の努力と「野のはな」への愛情の御蔭だからです。また、私が、個展と同じ規模の作品を出品できましたのも、「てふてふの会」の皆様の物心両面にわたる献身的な支援があったからです。この場を借りて、心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
想えば、25回の書展を通して、私は、書の表現と書展の在り方を、真摯に追求してきたことは、間違っていなかったと思います。しかし、その、私の思いとは裏腹に、書展の現実は、間違った方向へ動いてきました。
どこで、どのように、私の思いとずれてしまったのか、について、今、ここで、詳しく述べる余裕はありませんが、私の人望のなさと非力のせいで、私の理想を実現できなかった点において、25回の書展は、すべて失敗の歴史だった、と私は思っています。書作品ならば、理想が実現されるまで、まだまだ書き続けるのですが、もう体力も気力も僅かしか残っていません。
幸か不幸か、先日、第26回展の使用許可の通知が、市美術館から届きました。もうすでに、何人かの人が、出品作品の制作に入っています。このような積極的な方がたが、私には、一番の激励であり、支援です。私もボーとしていられません。僅かながら残っている気力を振り絞って、書展に向かいたいと思っています。
ここで少し、野のはな書展についての基本を述べたいと思います。

野のはな書展は、アンデパンダン展ではありません。審査も賞もありませんが、誰でも自由に出品できるわけではありません。すべて出品作品は、私の目を通過しなければ出品できません。私がダメと言えば、出品できません。が、25年間そのようなダメ出し作品は一点もありませんでした。搬入時に、はじめて、私に作品を見せた、無礼な人は居ましたが、それでも、出品は許されました。
今まで、出品者の多くは、私の、ものの考え方や感じ方に共感されている、と思ってきましたが、今回展では、「ごあいさつに代えて」を「浮いた口上」に変えました。どうも、私は、独り浮いているように思ったからです。たぶん、今までもそうだったのでしょう。第1回展から、私は、関係者しか来ない、と評判の悪い、お稽古事発表会のような書展ではだめだ、と言ってきました。しかし、現実は、関係者の喫茶展になってしまいました。
あなたは、ゴッホ展に行って、大声で話しますか、友人に会う目的でゴッホ展に行きますか。通りがかりの人達を呼び込みますか。善かれと思っての行動でしょうが、思慮が足りない行いでしょう。書展を貶めるだけです。
「野のはな書展」のような展覧会では、関係者が来て、お話にお花が咲くのは避けようがありませんし、お茶で、おもてなすのも大切な事ではありますが、基本は社交にはありません。(もちろん、制作の動機は、人それぞれで、制作の主な動機は、自己の内部にあると思うのですけれど、)制作や芸術に対する真摯さ(誠)を通して、来場者に、生きて在ることの真実と、生きつづけるための希望を、感じ、そして考えてもらうことにあるのではないか、と私は思います。
「浮いた口上」で述べました、「読まないでください」は、「読んではいけません」と言っているのではありません。言葉が書かれている書は、習慣的に読もうとするものです。しかし、書は、造形的な何ものかです。言葉だけに感動しても、書を見た事にはなりません。言葉は、大切なものであり、大変なものでもあります。制作者は、徹底的に考えぬかれた言葉を選んで書かねばなりません。「みんなちがってみんないい」や「世界に一つだけの花」のような、嘘うそしい、単なる「良い言葉」は良い言葉ではありません。
また「説明を求めないでください」は「説明をしてはいけません」と言っているのではありません。説明を求められれば、説明するしかないでしょう。しかし、その説明が、本当の鑑賞〈想像力と創造〉の妨げにならないように、説明しなければなりません。「芸術の灯」は、デリケートなものです。ちょっとした風が吹くだけで、消えてしまうのです。出品者は、その芸術の灯(愛のようなもの)が、消えないように護らねばなりません。
いつものことではありますが、出品作品の9割に、善いものを、私は感じました。それぞれの作品に、考えさせられ、反省させられ、気づかされました。芸術の可能性を感じました。芸術の厳しさと、人間性の豊かさを感じました。このような、無償の行為が存在できる、平和と文化に感謝しました。外国の方も多く来場され、日本文化の豊かさを感じて帰られた方も多かったのではないでしょうか。

今回、とても私には書けない、と思った作品がいくつかありました。一つは、森かづ子さんの自作詩、もう一つは、時田麻里さんの「虹 雨があがったよ」。二つとも、「誠」の心が表現されていた、と私は感じました。「誠」は、書展の基調でしたねえ。森さんの詩と書には、苦痛と哀しみと憤りが滲み出ていましたし、時田さんの書には、余白の輝きに、言葉を超えた、無心な歓びのようなものが、光りのように溢れていました。それは、黒い字と白い余白が生み出したものなのでしょうが、これらの歓びも、哀しみも、作者の「誠」がなければ創造されなかったものです。それらは、作為よりも無心がまさっていた結果なのではないでしょうか。それから、お二人に共通している事は、基本的な書の練習を、途切れることなく、何年もつづけてこられていることです。「誠」はそのような中からしか生まれないのだ、と今更ながら、気づかせていただきました。
書展の基調である「誠」は、万葉集の作風といわれる「誠」から引用したものです。最近、どういうわけか、元号に「令和」が選ばれ、それが、万葉集から採ったものだという。そこで、令和の意義について、万葉集の権威らしい有名な学者やその他が、嘘八百を平気の平左で、堂堂と述べているので(ここでは、その事に関して批判はしません)、私が「誠」を基調にしたわけを、正岡子規の著書から引用しておきます。
「『万葉』が遥に他集に抽(ぬき)んでたるは論を待たず。その抽んでたる所以は、他集の歌が豪(ごう)も作者の感情を現し得ざるに反し、『万葉』の歌は善くこれを現したるにあり。他集が感情を現し得ざるは感情をありのままに写さざるがためにして、『万葉』がこれを現し得たるはこれをありのままに写したるがためなり。曙覧(あけみ)の歌に曰く
いつはりのたくみをいふな誠だにさぐれば歌はやすからむもの
「いつはりのたくみ」『古今集』以下皆これなり。「誠」の一字は曙覧の本領にして、やがて『万葉』の本領なり。『万葉』の本領にして、やがて和歌の本領なり。我謂うところの「ありのままに写す」とはすなわち「誠」にほかならず。後世の歌人といえども、誠を詠め、ありのままを写せ、と空論はすれどその作るところのかえっていつわりのたくみを脱するあたわざるは誠、ありのまま、の意義を誤解せるによる。西行のごときは幾多の新材料を容れたるところあるいはこの意義を解する者に似たれど、実際その歌を見ば百中の九十九は皆いつわりのたくみなるを知らん。趣味を自然に求め、手段を写実に取りし歌、前に『万葉』あり、後に曙覧あるのみ。
されば曙覧が歌の材料として取り来るものは多く自己周囲の活人事活風光(かつじんじかつふうこう)にして、題を設けて詠みし腐れ花、腐れ月に非ず。こは『「志濃夫廼舎歌集』(しのぶのやかしゅう)を見る者のまず感ずるところなるべし。彼は自己の貧苦を詠めり、彼は自己の主義を詠めり。亡き親を想いては、「親ある人もあるに」と詠み、亡き子を想いては、「きのふ袂にすがりし子の」と詠めり。行幸の供にまかる人を送りては、「聞くだに嬉し」と詠み、雪の頃旅立つ人を送りては、「用心してなだれに逢ふな」と詠めり。楽みては「楽し」と詠み、腹立てては「腹立たし」と詠み、鳥啼けば「鳥啼く」と詠み、螽(いなご)飛べば「螽飛ぶ」と詠む。これ尋常のことのごとくなれど曙覧以外の歌人には全くなきことなり。面白からぬに「面白し」と詠み、香もなきに「香に匂ふ」と詠み、恋しくもなきに「恋にあこがれ」と詠み、見もせぬに遠き名所を詠み、しこうして自然の美のおのが鼻の尖さきにぶらさがりたるをも知らぬ貫之以下の歌よみが、何百年の間、数限りもなくはびこりたる中に、突然として曙覧の出でたるはむしろ不思議の感なきに非ず。彼は何に縁りてここに悟るところありしか。彼が見しこと聞きしこと時に触れ物に触れて、残さず余さずこれを歌にしたるは、杜甫が自己の経歴を詳に詩に作りたると相似たり。古人が杜詩を詩史と称えし例に傚(なら)わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。・・・」(正岡子規『曙覧の歌』より、『日本』明治32年3月26日)
嘘つき政権と、その御用学者や御用メディアから、最も遠い存在が、『万葉集』なのではないでしょうか。
(2019年4月・会員つうしん第161号掲載)

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