第18回野のはな書展(2012年5月8~13日)
- harunokasoilibrary
- 5月15日
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更新日:5月31日

ごあいさつに代えて
東日本の震災だけでなく、アジアやアフリカなど世界のいたるところで、今も昔も、人間の幸せと同じだけの不幸な出来事が起こっています。
書が芸術ならば、美しい花の向こうの悲しい現実に光をあてなければならない。そしてまた、自由や平和を希求する力強い不屈の人間性が、涸れることのない地下水脈のように、人間の中に流れつづけていることをも形にできなければならない。と、わたしは思います。
代表 春野かそい
(出品目録掲載文)

第18回野のはな書展を終えて
書展実現のために尽力してくださった出品者や会員のみなさんに心より感謝いたします。
わたしは、この書展を、芸術活動の一つとして主宰してきました。
しかし、残念ながら、出品者全員が、わたしの意図を理解して、そのような意識で作品を制作し、出品しているとは思えない。
この書展には、指導者がいなくて、出品者全員が協力して開催しているのだ、と、アンデパンダン展なみの宣伝をしている会員がいるらしいのには驚きました。信じられないことだ!
多くの人の協力があって、はじめて、この書展が成立していることは言うまでもありませんが、わたしが主宰していることは分かりきったことです。
書展をおとしめるような人が出品することは考えられないことですし、今まで、出品をお断りするようなことは、一度もなかったと思います。
わたしは、書を芸術として考えていますが、出品者も、わたしと同じように考えないと出品できないということも、もちろんありませんでした。
出品者の中には、書は実用である、教育である、娯楽である、芸術ではない、と、思っている人もいることでしょう。
書について、どう考えようと自由なのはあたりまえです。
わたしが、書は芸術だと考えているのだから、それに逆らう人の出品は許可しない!と、しても良かったのですが、そうはしてこなかったし、する必要もなかった。どのような考え方であれ、自由に制作して、書や作品を世間に問いかけられるような、開かれた書展でありたいと、わたしは願ってきました。
これから先も、その願いは変わらないか、と問われれば、今は、わからない。と、答えるしかありません。
今回までの、このような自由に、わたしは、いささか疲れてきました。
わたし個人の時間には限りがありますから、不毛な議論をして遊んでいる暇がないようにも感じるので、わたしの戦いに理解のある、気心の知れた人たちとだけで、親密な書展を創造してゆくのが正しいようにも思うからです。
さて、わたしが考えている芸術とは、何なのか、そのことについて少し述べようと思います。
芸術するこころは、芸術の天才だけでなく、すべての人びとにあると、わたしは思っています。本来、すべての人が芸術家であるとも思います。
才能の大小は、もちろんあるでしょうけれど、それは、等しく、すべての人びとの遺伝子にプログラムされていると推測しています。このことはすでに、科学的に証明されているのかもしれませんが、わたしは知りませんので、いちおう、推測としておきます。
この推測は、今回の書展でも、何人かの出品者とその作品に、芸術作品であるための絶対条件である、独自性や自由度が、具わっていることを強く感じたことでも、確信になりつつあります。
このことを分からなくしているのは、封建的また、宗教的特権などの垢によって、この真実が見えないように、歴史的に覆い隠されてきたからです。
このことは、半世紀以上も前に出版された、画家の岡本太郎の『今日の芸術』に詳しく述べられています。わたしは、岡本太郎に共感します。
芸術は、凡人や庶民大衆には関係のない、高尚な、エリートだけの特権であるといった、固定観念や常識の垢を洗い落として、一人ひとりが、本当の自分に気づかねばならないと、わたしは考えます。
さて、芸術するこころが、自分にも生まれながらに具わっていることに気づいたとしても、表現するためには、何らかの手段で、表現方法を学ばなければなりません。そこで、書道教室や芸術大学に通って、専門的に学ぶわけですが、期待に反して、芸術は教えることができません。
技能は教えられますが、しかし、毎日練習を重ねて、技能を磨いても、芸術作品が書けるとは限らない。技能は芸術の保証にはならないのです。
芸能や芸や芸ごとの世界では、師匠から技能を学び、免許をもらって一人前になることが常識でしょうが、「芸ごと」や「芸能」や「職人芸」は「芸術」の対極にある正反対のものです。
芸ごとや職人芸は、過去の型を守り、その型を磨き上げ、名人芸を目指すものですが、芸術は型を破り、常識を否定し、未来を創造するものです。
家元などが大手を振るっている「芸ごと」の世界は、芸術とはかけ離れた、家元の存続と金儲けのための制度にすぎず、人間の自由にとっては不用の制度だと、わたしは思います。
芸術は、それを創る人にも、それを鑑賞する人にも、自由で豊かな人間性を育むものですが、芸ごとは、やや過激に申しますと、娯楽と偽善と、かりそめの慰めを与え、真実から目を背けさすものでしかありません。
物知り顔の大先生や、その道の権威に惑わされないで、大人は、無垢な子どものように純粋な目と心で、あるがままを見、感じられるようになるために、感性を磨き、芸術を学ばなければならないと思います。
先生のできることは、こびりついた垢を、きれいに洗うことだけでしょう。
多くの、歴史上の芸術作品が、芸術とは似て非なるものです。
本物の芸術作品は、それほど残っていません。
特に書には手本があり、手本は型です。だから、書を芸術として学ぶことは、たいへん難しい。書道史上には、たまに芸術家と芸術作品が現われることがありますが、傑作といわれている名品を含めて、ほとんどが取るに足りないものばかりです。
書を芸術として学ぶとは、書道史上のすべての型を否定するためでしかないのかもしれません。
今回の書展での出品者と来館者の感想などや、会場での反応を見ていますと、芸術としての鑑賞にはほど遠い反応が多く見られました。
たとえば、「慰められた」「癒された」「きれい」「心が和む」「すばらしい言葉ですねえ」「じょうず」「謙虚」「おくゆかしい」「まじめな臨書」「創作だけでなく古典をしっかり学んでいるのが良い」「精進されているお姿がうらやましい」「励まされた」などなど。
さてさて、大変だ。芸術だと思っていたものがそうではないらしい。
軽い趣味の書道なら好きだけど、重いとなると苦痛でしかない。
きれいな手本を写していると、心が清められ、穏やかで、楽しいひと時をすごせるから、それだけで充分だったのに、しちめんどうくさい芸術なんかしたくもない。普段の字が、きれいに書ければそれで良いのです。本物の芸術なんていりません。
このような非難が八方から聞こえてくるようです。
偽者(偽物)だらけの書道界で、またそれを好む大衆の中で、まだ、書展を続けてゆく意味があるのでしょうか。
そうだからこそ、続けなければならないのでしょうけれど、ベートーヴェンが言うように、「芸術は短く、人生は長すぎる。」
(2012年6月・会員つうしん第120号掲載)

第18回野のはな書展を終えて―私の希望―
書展が無事すみましたことを感謝いたします。
忙しい日々、寸暇を惜しんで努力された出品者の方がたに、心よりお礼申し上げます。ご協力いただきました会員のみなさん、ありがとうございました。
おかげさまで、書展は年々立派になってゆくようですが、淋しさもまたつのってゆきます。20年前60歳だったかたが今は80歳ですから、元気もなくなります。以下、個人的なことですが、忘れないうちに書き残しておきたいと思います。
母(春野瑞景)もボケてしまって、絵も書もかけなくなってしまいました。
小林綾(栗里)さんも書展を見にくることができなくなりました。
栗里さんは、ほとんど歩けなくなるまで、フラフラしながら、もろもろ塾にも通って来られました。心配でしたが、本当にうれしかったです。
私が作品をはじめて売りに出した時、小さな条幅一本50万円だというのに、真っ先に買ってくださり、「応援しています」と書かれたメモをくださったのでした。
むかし、雅印を依頼され、星を散りばめた、けったいな印を彫りましたが、嫌な顔するどころか、たいへん喜ばれて、愛用してくださいました。今回、出品された扁額作品に使われていて、懐かしく拝見しました。
「書展に出すのは先生のためですけど、先生が恥をかかへんかったら良いけどなあ」と、カルチャーセンターにでも来ているつもりでいる他の人たちのヒンシュクを買ってはるのを思い出します。
あまり民主的な話ではありませんが、栗里さんは民主的な人です。それから、私は民主主義のために書をはじめたのではありません。
母と親しく話されている姿を見るたびに、お二人の期待に報いなければならないと、いつも強く念じたものです。
栗里さんは誰よりも、改訂前の野のはなの手本を、宝物のように大切にしてくださり、それを、擦り切れるほど、何度も習われたのでした。
新しい手本を受け取るたびに、歓びが満面に輝いていました。

それらは、書の何たるかも解らず、一歩一歩山を登るように、夢中で書いた手本でした。何度も徹夜して書き上げた未熟なものでしたが、一冊ごとに道を切り拓いてゆく、私の成長の跡を手本の中に感じ、その生命感を愛してくださったのだ、と、いま感じています。
堤湛山さんも亡くなってしまいました。
湛山さんは表具師で、書も絵もかかれるかたでした。
12年前の私の個展ではじめてお会いし、それ以来、表具を依頼するようになりました。
湛山さんの、エネルギッシュな書画に、感銘を受けた私の依頼にこたえて、書展にも出品してくださるようになりました。
湛山さんは、時間もお金のことも度外視して、どんな無理な注文でもきいてくださいました。私の作品を高く評価してくださり、お知り合いの多くの芸術愛好家たちに、私を紹介してもくださいました。
書展や個展には、初日の早い時間に必ず来られて、ゆっくりと丁寧に、一点一点食い入るように観ておられた真摯なお姿が懐かしく思い出されます。
私は、ほんとうに仕合せだったと思います。
人生の達人である、この方たちから、物心両面で助けられ、作品を創りつづけられたことが。
作品を創ることは、生きることであり、戦いでしたから。
さて、このように私と深く関わった方がたも、だんだん少なくなって、会場で私は寒々としたものを感じたりもしました。
私と関わりのない人が出品しているのが不思議でもありました。
見たくない作品もありましたし、このような所には長居は無用だと感じ、帰りたくもなりましたが、そうもゆきませんでした。
私は、私と母とに深く関わった人たちと、親密な書展を創りたかったのですが、思惑通りにはゆかないものです。

母はボケてしまいましたから何も解らなくなってしまいましたけれど、私を馬鹿にしたような作品が出品されていることが分かったら、どんなにか憤ったことでしょう。ボケて良かった。激しい人でしたから。
この書展は、私と母の手から少しずつこぼれ落ちていっているようです。
これが民主主義というものなのかと、つくづく思い知らされました。
私は、できることなら、すべてを捨てて、ゼロから創めたいと願っています。
書展が終って、ひと月ほど経った今、強く印象に残った二人の来場者のことを思い出します。
それは、作曲家の卵の、二十歳ばかりの青年が、私の「美しき森」や「自由」と「平和」の作品をみて、これから自分が、作曲家として生きてゆくための、一つの指針となりました。と、作品に勇気づけられことを、涙で目を輝かせながら語っていたことと、昨年、ミニコンでお世話になりました、音楽劇団てんてこ代表の河合正雄さんが、会場を一巡してから、帰りぎわに、「会場に入ってすぐに、この「黒の瞑想」(平和)を見て、ガツンときて、今まで自分は何をしてきたんやろか。と、思いまして、ガックリきてたんです」とおっしゃり、肩を落として、とぼとぼと帰ってゆかれる後姿です。
もう少し、河合さんとお話して、その真意をお聞きしたかった。
青年に、一歩を踏み出す勇気を与え、また、経験を積み、一家を成した、自信たっぷりの人に、ガツンとイッパツ喰らわして、元気を無くさせた。
この事実が、私に希望を与えてくれました。
このお二人の姿を思い出しますと、芸術の価値を思い、書展をして良かったと感じます。(2012年6月・作品感想文集載)

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