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第17回野のはな書展(2011年5月3~8日)

  • harunokasoilibrary
  • 5月10日
  • 読了時間: 5分

更新日:5月31日

ごあいさつ


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憲法記念日に、自由と平和を基調とする「野のはな書展」におきまして、特別企画「美しき森」展が併催できましたことを心より喜んでおります。

美しき森とは森林のことではありません。

それは、人間性豊かな人びとによって、長い戦いを経て獲得された法律や条約や宣言のことです。

それらの言葉は、あたかも豊饒な森か海のように私たちを呼んでいます。

代表 春野かそい

(出品目録掲載文)









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第17回野のはな書展 感想

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憎しみのような悪意が背中に刺さるのを耐えた毎日でした。

つらいことに、その棘は外部だけでなく内部にもありました。

棘の痛みに耐えて重い筆を運ばねばなりません。

 

はじめに、「美しき森展」の成功のために、手弁当で走りまわってくれた「てふてふの会」や会員の皆さんへお礼を述べたいのですが、ちょうどいい感謝のことばがみつかりません。

作品が完成する前から、てふてふの妖精たちによってすばらしくきれいなチラシが作られ、あちこちのマスメディアなどに運ばれました。

その努力が報われたかどうかはまだ分かりませんけれど、ぼくの制作を目に見えないところで支えてくれたのでした。

まだ完成もしていないのに、前宣伝は困る、出来なかったらどう弁明するのか、せめて完成予定と書いてほしいと求めましたが、てふてふの代表(小原さん)からの「それはだめです」という強いことばに、完成するしかないと強く思ったことでした。

ぼくは、制作費のことなど考えもしないで書き上げ、裏打代の見積もりを見、予想はしていたものの、思ったよりも高額なのに驚きました。

しかし、願っていたことではありませんが、妖精たちの呼びかけで協力金なるものが数十万も集って、何とか息をつき、ほっとしています。

作品の展示は大変心配でしたが、妖精たちが黙黙と、注意深く、着実に仕事をやりとげてゆく姿を、ぼくは惚れ惚れとして見ているだけでした。

慎ましいけれど逞しく華麗な妖精たちは空あかねさんを中心にして楽しいコンサートを企画してくれました。

美しき森の広場で人びとが全身で歌い、楽しそうに奏でている姿を見て、ぼくは嬉しくてたまりませんでした。

十年か二十年に一度しかない展覧会は大成功だったと、ぼくは思います。

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 読めなくて訳が分からない。

 これが書か?

 威圧的で見たくない。

多くの人には、このような作品だったかもしれないけれど、一人のビデオジャーナリストが「子どもの権利条約」を観て「勇気が出てきました。これから福島の子どもたちを取材に行くところです。ありがとうございました。」と、ぼくにわざわざお礼を言い、目を輝かせ、被災地に向かって行かれました。

 一人の人を活性化できた!

 それだけでぼくは満足です。

 これ以上望むことはありません。

ぼくは憎しみと悪意の海を一人で乗り切ろうと思っていましたが、思いもかけない仲間たちに出会い、人の心の温かさで危ういところを切り抜けられました。

これから先、ぼくには悪意のない仲間に出会うことはほとんどないでしょうが、「美しき森展」実現のためたたかった一握りの美しい心たちとの出会いをぼくは生きている限り忘れることはないでしょう。

あしたが在るのか無いのか、ぼくには分かりませんが、「美しき森」がどのような展開をするのか楽しみです。

 

「書は芸術である」などと旗をふる必要はないとぼくは思います。

声たかだかに叫ばなくとも、書は芸術だからです。

芸術は人間のこころの表現です。

それは表現を通じて、自分の内側と自分の外側を見つめ、それらに対する理解を深め、そして、より豊かな人間性実現のためのたたかいです。

それから、書と言葉について再確認しておきましょう。

言葉に感動することと書に感動することとを混同してはいけない。

言葉の力と書の力は違います。

言葉を書にするのは、書の力によって、言葉の真の力に光を当て、それを目に見える形にすることだと、ぼくは考えています。

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書は言葉の奴隷ではありませんが、言葉抜きの書はありえません。

そして、それが書であるならば、それは読めても読めなくても良いと思います。


今回も出品者やその作品から大切なことを教えられました。

そのいくつかを思い出してみます。

何千字という作品になりますと、高山を登るようなもので、緊張ばかりでは長続きしませんから一息つくことも必要ですが、一歩一歩に気を抜くことは命取りにもなりますので緊張と弛緩の力のバランスが大事だと考えていました。

それで、ぼくは制作に当たって、どんなに時間がかかろうと一点一画けっしておろそかにしない、と同時に力を抜くところでは抜いて、ゆったりと景色を楽しみながら登っていこうと決めてもいました。

しかし、向井田健一さんの「環」と小原純子さんの「命」を観たとき、その書線に込められた恐ろしいまでの気迫に、ぼくの、書に対する慣れと甘さを痛感させられたのでした。

書はどこまでも手を抜いてはいけないのだと思い知らされました。

川合寿美子さんの作品は静謐で澄み切り、心が洗われる思いがしました。

精神性の高さと日本の伝統の美を忘れてはいけないのだと強く感じました。

吉原光江さんの作品からは文字を書く楽しさが、空あかねさんからは言葉を書くよろこびが、多田芳江さんからはプロテストする切実な想いが感じられ、あらためて書は多様でおもしろいものだなあとつくづく思いました。

それから、震災にかかわる書が何点かありましたが、自分のからだをくぐり抜けたことばでなければ、その作品は偽善にしかならないでしょう。

震災でこの国は偽善列島のようになっていますけれど、ぼくは慎重にこの歴史的な出来事をかみしめて、いずれ、書に表現したいと思っています。

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「美しき森」の連作の中で、ぼくは人間のことばの、限りない力を感じました。

そして、地震によって自然の計り知れない力を確認しました。

自然の力には抗うことはできません。

青い地球の美しい森も海もかけがえのないものでしょう。

しかし、これらはいずれ確実に消えてなくなる物です。

地球だけを見ていては人類にあしたは訪れないでしょう。

宇宙の中の地球を見つめなければならないと感じます。

もしかしたら、人間の本当の故郷は宇宙にあるのかもしれません。

常識に囚われないまじめな妖精たちとぼくは生きてゆきたいと思いました。


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