top of page

第16回野のはな書展(2010年5月4~9日)

  • harunokasoilibrary
  • 5月6日
  • 読了時間: 11分

更新日:5月31日



ree

ごあいさつ

人は言葉によって喜んだり悲しんだり、また真実に気づいたりします。時には哲学的に自分は何処から来て、何者で、そして何処へ行くのか、と思い悩みもします。人は言葉を杖にして、過去を越え、今を生きぬき、そして希望に満ちた明日を想い描きます。しかし、言葉は言葉に過ぎません。言葉や書かれた言葉の奥にある、耳には聞こえない、目には見えない、本当に大切なものに気づくことの出来る一時であることを願っています。    

代表 春野かそい(出品目録掲載文)

(毎日新聞に掲載された記事)
(毎日新聞に掲載された記事)


























第16回野のはな書展 感想

出品者の皆さんが、この文章を読まれるころには、展覧会は遠い過去の出来事で、頭の中はすでに来年に向けての制作の構想でいっぱいのことでしょう。なかには、自分の作品に自信をなくし、恥ずかしい思いだけが残って、やる気をなくした方もいるかもしれませんが、恥はかきすてておいて、明日の糧になるものを一つでも発見するために、恥じの上塗りになるかもしれませんが、思い出すことなど少しだけ述べてみたいと思います。

有本さんの「月」の連作は墨の変化がすばらしかったですねえ。水墨画の手法といってもいいでしょう。言葉の意味ではなく、抽象的な線の書きぶりと墨色の変化によってイメージを作り出しています。読む作品ではなく、音楽のように感じる作品です。そして、書き上げてから付けられたタイトルが表現内容を示唆しています。

森さんの自作詩の巻子は、普段の字を書かれていて自然な感じでした。詩人にとっては、推敲され決定された言葉はもうこれ以上表現できないぎりぎりのものなのでしょうか。書は言葉では言い尽くせないものを表現するものですから、詩を視覚的に再現することは出来るでしょうけれど、詩人にとっては書き文字よりも活字のほうが良いのかもしれませんねぇ。

小原さんの「悠然」はどっしりとした書きぶりで、並べて展示された旧作の「九条白蓮」の印象が弱くなっていましたねぇ。昨年の僕の「九条」は書展の最終日にはもう見るのも飽き飽きして、僕はがっかりしました。いつ見ても感動の薄れない作品を生み出す難しさをつくづく感じました。どうしたら良いのでしょうねぇ。

越田さんの作品からは、書きぶりが丁寧で、良いものが背後に隠れているのを感じましたが、付け焼刃ではどうしょうもないですねぇ。初心に帰って、もっと気楽に書を楽しんで欲しいと思いました。言うまでもありませんが、普段の学習が大切です。

川合さんの作品には静謐な雰囲気があって心が洗われるように感じました。清らかな世界を想い描かれているのでしょうか。すみずみまで細心に丁寧に作られている姿勢に他の出品者は学ぶことが多かったのではないかと思います。書への愛、言葉への愛、書くことの喜びがしずかに伝わって来ました。書展が豊かになり心から感謝しております。

村井さんの寸松庵色紙の臨書はもう何年続けられているのでしょう。その粘り強さに学ばねばと思いました。懐素の自叙帖臨書は技術的な完成度は十分ではありませんが、それよりも、もっと大事な、感動の強さがあります。このことを忘れないで技術の鍛錬を怠らないで欲しいと思いました。感動、気力、体力と継続の美。

向井田健一さんと通子さんの合作作品は小ぶりでしたが、精妙なパーチメントクラフトに和様の柔らかな書がよく合っていて驚きました。やんちゃで意地悪そうな黒猫と、書かれた言葉がぴったりで、文字も黒く生き生きとして、書の楽しさが伝わってきました。きれいな世界でしたねぇ。

多田さんの「想」は骨太で右の余白にただならぬものを感じました。急いで仕上げられ裏打ちもなしで工夫する暇もなかったようですが、その結果、作者のたくまぬ本質が、線と構成に現れているように思いました。これに懲りずにこれから一年かけて、御自身納得いく作品を構想されることを願います。

土田さんの作品は、いつもきれいでさっぱりしていますねぇ。「白楽天詩巻」は墨法が十分捉えきれていないですが、和様の感じは出ていました。和様とは何かさらに追求されると良いでしょう。「山桜」には艶がありましたねぇ。

小島さんの作品はだんだん小さくなっていますが、大きければ良いわけではありませんから自信をもって小さな作品を書いてください。力まないのが小島さんの特徴かな。それは大事なことですけれど、弱くならないように線の鍛錬をされるといいでしょう。

升谷さんは、日常生活の中でふと気になるささやかな思いを作品にされているのですねぇ。普段着の書といいますか、なんの気負いもない淡淡とした淡墨に、深い悲しみと寂しさを感じました。

堀さんの作品の、落差の大きいユニークな書きぶりや、絵画的な線の形や墨色の変化をとても面白いと感じました。また絵手紙のように絵入りの作品も観たいと思いました。いつもためらうことなく出品される、野の花のようなバイタリティあふれるお姿に、僕は惚れ惚れしてしまいます。

一字書を安易に考えている人がいるようですが、一字書は簡単ではありません。大げさに言えば、一字の中に何百字の作品と同じだけのものを込めなければなりません。そのようなつもりで書くのが一字書の基本です。人間としての深さと、持てる書の技術のすべてを、わずか何本かの線に込めて書くのですから本当は最も難しい表現なのです。

片山さんの細い線には、無駄なものを削り取った簡素な美と力強さを感じました。字形にもなんとも言えない良さがあります。戦後生まれの僕にはどうすることも出来ない書の本質が自然に身についていられるように思いました。いつまでも書き続けてください。

石田さんの臨書は、雁塔の弾力ある線とは似ても似つかない線ですし、字形も字の配置もはっきりしない作品なのですけれど、良い作品だと言う人が何人かいました。やはり、完成度ではなく、ひたむきさといいますか、諦めずに、名人の書に近づこうと何枚も書かれた熱意というか、そのような謙虚さが巧拙をこえて人に感動を呼ぶ作品に結晶することがあるのですねぇ。書に臨む姿勢という臨書の本質を考えさせられました。

加納さんの「願」は観れば観るほど鬼気として迫ってくるものがありますねぇ。普通の字なのですが、普通ではない。じーと思いを凝らしているような、心の塊のような、重さのない魂のような感じかなあ。能面かな。分析できない不思議さを感じました。

荻原さんの「月」はきれいな月でしたが、いささか気が抜けたお月さんでした。生きた余白とはなんなのか深く考えなければなりません。さらりとまとめられた作品で、いつもの頑張りがあまり感じられず、少し残念でした。

上井さんの作品は、黒黒と線質強く、力がはちきれそうでした。構成は単純明快でクリア。単純なだけ複雑さはないのですが、観る人に力と勇気を与える書の本質の一つの表れだと思いました。このような作品をどんどん書いてあちこちでみんなに見せて、人人を勇気づけてください。

中村さんは、元気すぎるのか、乱暴なのか、おおらかなのか、捻じ伏せるような書きぶりで、いつも添削で悩まされているのですが、今回の書展の作品は上品でした。うまい具合におとなし過ぎず、乱暴でもなく、繊細で力強い作品になっていました。

澤口さんは初出品ですがどう感じられたでしょうか。十分意を尽くした表現にはなっていないでしょうけれど、詩から受けた感動を言葉ではなく造形によって表現できる面白さを、これからも楽しみながら学んでいただければと思いました。

田中さんの「陽光」は清潔な澄んだ線で、温かな光が射しているようでした。印の位置のことや横並びの不安定さについては学習会で指摘しました。軸作品は臨書としては中途半端でしたが、不思議なまとまりと独特の趣があり、面白く感じました。

木南さんの「桜」は、窮屈に丸くなっていました。見えない枠に閉じ込められているようにも、小さな一輪の花のようにも、また、凝視する瞳のようにも感じられました。打ち解けられない孤独な魂の漂泊なのかもしれないとも思いました。

山本さんの作品は発想が面白いですねぇ。今年も山本さんの活けられた花たちが会場を野の香で満たし、多くの人びとの心を、ひっそりと咲く小さき者たちの美しさで癒してくれていましたが、花と人を心から愛する人でなければ、このような作品は生まれないことでしょう。生まれるべくして生まれた作品だと思いました。いつの日か野のはな書展の作品が「百花繚乱のようだ」と評判になる日が来ることを夢みています。

時田さんの小篆臨書は伸びやかで、神経質なところがなく、篆書を楽しんで書かれているようで、人柄の大きさを感じました。創作は深い思想がユーモラスな書きぶりで表現され、観ているだけで楽しくなってきました。臨書で学んだ書法を創作にどんどん取り入れて新しい現代のスタイルを創っていかれることを期待しています。

石岡さんの「波」は気持ちの良い書きぶりで、たっぷりとした線質に豊かな心がみなぎっていました。ただ、波をいかにも波の揺らぎのように書くことは表現としては解りやすいですが、単純で底の浅いものになってしまいます。辞典的な「波」の意味プラス多くの人によって今日まで使われてきた様ざまな意味プラス自分独自の意味を加えて、より深い、新しい「波」を書かねばなりません。それが表現です。

小中さんの「共生」はそれなりに雰囲気が出ていましたが、何紹基の臨書だとするには、やや研究時間が足りなかったか。中途半端に臨書するよりは、自分自身の「共生」を追求したほうが良かったかもしれませんねぇ。

田代さんの金文作品は力作でした。中国の書の原点である彫る書の力強さを感じました。塗りこむように彫り付けられた線が強烈な赤い紙に負けていませんでしたねぇ。これと対照的な仮名条幅が抑揚のある日本的な線で見事にさらさらと書かれていました。書の学習の基礎は楷、行、草、隷、篆、仮名の線の筆づかいと形を学ぶことです。その基礎の上で現代の書を書かなければなりません。次回は臨書が生かされた創作を期待しています。

ree

小林栗里さんの雁塔の節臨の、若若しく力強く溌剌とした線を観ていますと、細くて、優しく、強靭な栗里さんが目の前に立っていられるように感じました。それから、丸窓の作品を観ていますと、座って、笑いながら、天邪鬼のように皮肉を言われている栗里さんを思い出しました。ほんとに「書は人なり」だと思います。書を愛されている栗里さんを思い出すたびに、書を学んできて本当に良かったと思います。

黒田さんの呉昌碩の臨書も旧作の董其昌の臨書もそれぞれ一年かけて丁寧に用意され書き上げられています。その姿勢はお手本にしたいくらですけれど、何のための臨書なのかも考えて見なければなりません。形だけの臨書から独自の解釈を加えた臨書へ、さらに自由な臨書へと展開していかなければ面白くない。古典から様ざまなことを学びつつ現代に生きた書を追究していただきたいと思いました。

荻野さんの作品の「翼」の周りに貼ってある各紙片の言葉は、巣立って行く教え子の一人ひとりに、思いを込めて送られたもので、その思いの込もった原本を見て感動した春汀さんが、それをもう一度書いてもらって作品化し出品を勧めたものです。しかし、出品された作品は原本とはかなり違ったものになってしまったようです。清書され、きれいにまとめられた代わりに、はじめにあった生き生きとした感動が消えてしまっていたということです。

堤湛山さんは表具師ですが、絵も書もされます。ご高齢ですけれど、十年前と変わらずエネルギッシュに書画を制作されていて、「書画が好き」を絵に描いたような怪物のような方です。そんな方が十年前に僕のことを「化け物」と呼ばれたのが懐かしく思い出されました。いつまでも書きつづけて頂きたいと思いました。

空あかねさんは、言葉に対する繊細な感受性をお持ちで、書かれた言葉からは、人びとに伝えずにはいられない、溢れるような想いが感じられました。書はクラシックですが、あかねさんの作品はシャンソンでした。クラシックだけが音楽ではないのですから、シャンソンのままでいてほしいと思いました。いつまでも、楽しんで、書きたいように、自由に書きつづけていただきたいと思いました。鮮やかな表装は、以外にも書にぴったりでした。モノクロと極彩色は木の葉の裏表なのだと改めて思いました。「あの森へ」は天からの贈り物のように感じ、感動で言葉もありません。伴奏付きで聴ける日が楽しみです。

野瑞景さんの作品はすべて旧作ですけれど、人にもよりますが、人の旧作を観るのは楽しいですねぇ。「土」も橘曙覧の歌も光悦の臨書もみんな余白がきれいで澄んでいました。瑞景さんはあまり作為のない人でしたから、知らず知らずのうちに無心に近い本然の姿が現れたのかもしれません。

植田春汀さんはいつも、努力や何の苦労もなく、大作をさらりと書き上げますので感心します。忙しければ忙しいほど集中して書かれるのには驚かされます。九成宮全臨は言うまでもなく、旧作の屏風も力作でしたねぇ。「月の石」は春汀さんらしく静かに語りかけてくるようでしたけれど、それぞれの作品が月ではなく太陽のように自分の光で輝いているようでした。

ree

最後になりましたが、会員と賛助会員の皆さま、西川禎一さんとその人形、写真を撮ってくださった江村順一さんはじめ御協力くださったすべての方がた、ありがとうございました。

来年はもっと充実した、多様な花の咲く展覧会になるように、一人ひとりが自覚して参加していただきたい。そして、静かな芸術の力で世界に平和と自由を実現していきましょう。それから、カバンになった九条が世界にひろがることを願っています。

ree

最後に不満を一言、鑑賞会(学習会)と交流会には出品者は全員参加して欲しいと思いました。そのために日時や参加費などを再検討して全員が参加しやすいようにしていただきたい。平和と自由の実現は会の人間関係から始まっているのですから。

(2010年6月・会員つうしん第108号掲載)

最新記事

すべて表示
もろもろ塾のページを新設しました

もろもろ塾の資料を掲載する新しいページを作成しました。 こちら からご覧ください。 今後、少しずつ掲載していきます。 現在、『無私「私論」』を掲載しています。 無私「私論」1 無私「私論」2 無私「私論」3 無私「私論」4 無私「私論」5 無私「私論」6

 
 
 
私にとって大切なことは

私にとって大切なことは、 人に誉められることではありません。人に感動をあたえるような立派な作品を発表することでもありません。 有名になることでも、お金持ちになることでもありません。 これはあくまでも私にとってのことです。 私ひとりのことです。 あなたのことではありません。...

 
 
 

コメント


© 2025 Harunokasoi

無断の複製転載を禁じます

bottom of page