第13回野のはな書展(2007年5月22~27日)
- harunokasoilibrary
- 4月20日
- 読了時間: 3分
更新日:6月1日


ごあいさつに代えて
ゾウの脚の様な
須恵器か墓石のように飾り気のない
ときには苔むしてこぶだらけの
玄玄(くろぐろ)として節くれだった手で
大地を握りしめ
限りなく透明な天と
罪深き地を往還し
分離されし哀しき生に
赤赤と燃える
緑の階調を贈る
灰色の木木の幹
言葉なく記憶なく
静謐で霊妙な線がそこに在る
春野かそい
(出品目録掲載文)
第13回野のはな書展感想
一日だけ降りましたけど、良く晴れましたね。何か大きなものに祝福されているように思いました。
広い会場でしたからどうなるかと心配でしたけれど、狭いくらいに感じましたね。寸松庵のような小さな作品も、床に置かれた可憐な花のように、ただ広いだけの無機質な空間を温かい豊かな世界につくり変えていましたね。
自分の作品を正視するに堪えなかった方もいるでしょうけれど、どの作品も思いのこもった好い作品ばかりだったと私は思います。

本人ですら知らない遥か遠い彼方から人びとはやって来ます。そして看板の文字の洗礼を受け、心尽くしの人形や好意にあふれた出品者の笑顔、さりげなく活けられた野の花に迎えられて、日常から離れた異空間へと足を踏み入れるのです。展覧会は会場の外からすでに始まっているのです。ちょうど書の始筆のように。
私は交響詩のように、または回遊式庭園のように書展を演出できれば来場者にきっと悦ばれるだろうと考えました。
あたかも庭園を巡るように、ゆっくり歩きながら池を眺め、小さな島を見つめ、石橋を渡り、灯篭をながめ、竹の林を吹きぬける風の音や樹木の葉群のそよぎを感じ、鳥の羽ばたきに驚き、水面のさざなみや虫の作る波紋に見とれ、始めも終わりもないような小川のせせらぎに心洗われ、失われた人間らしさを取り戻し、またそれに気づいて静かに活性化されて庭園を後にする。
このように書展を演出できたならば書展はほんとうに意義深いものになるでしょう。今回それが少しですけれど実現できたように思いました。

それから、一つ一つの作品がまるで自画像のように見えましたことを伝えたいと思います。それを書いた人の容姿や性格がそのまま描かれているのには驚きました。私たちは詩文を書こうが憲法を書こうが、結局は自画像を書いているのかも知れませんね。出品者一人一人にとって作品とは自己を映す鏡なのだとつくづく感じましたね。それは掛け替えのないものだと思いました。
次回のこと。
出品者の独創性は言うまでもなく大事なことですけれど、それだけではなく、人間性回復へのメッセージが心ある人へ送り届けられる展覧会を実現するのだという自覚を、出品者一人一人が持って頂けたらと、私は強く願わずにはいられません。出品者一人一人がそう自覚することによって、お稽古事発表会ではない、意義のある展覧会がきっと実現できると私は確信しております。
(2007年6月・会員つうしん第90号掲載)

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