第12回野のはな書展(2006年5月4~7日)
- harunokasoilibrary
- 4月13日
- 読了時間: 4分
更新日:6月1日
ごあいさつに代えて

悲しみは悲しみ
よろこびはよろこび
苦しみは苦しみ
寂しさは寂しさ
野心は野心
愛は愛
それは
日本人の悲しみ
アジア人の苦しみ
アメリカ人のよろこびではなく
この惑星に住む人間の悲しみ、苦しみ、よろこびです
私たち人間の悲しみやよろこびを
あるがまま理解したとき
そこに
本当の平和が訪れるでしょう
書はその理解を深めるでしょうか
(出品目録掲載)
第12回 野のはな書展感想

私は学習会で、最初に、「はじめまして」と、挨拶しました。参加したみなさんは、笑ったり、きょとんとしたりしていられました。はじめてお会いする方も居ましたけれど、私を知っている方がたには、何か奇妙に聞こえたかもしれません。
あなたは、私の作品や文章やこの前あった時の私についての記憶を持っています。私もあなたについての記憶を持っています。記憶はイメージとして残ります。それで、あなたと私はお互いのイメージで出会うのです。イメージは記憶ですから過去のものです。過去は頭の中に観念としてあるだけで実在しませんから、あなたと私は過去の幻で出会っているのです。いま本当に実在する、あなたと私として出会ってはいないのです。
積み重なった過去の結果が今の私たちであり、今の私たちは、どうしようもなく過去につながっていると、あなたは考えているかもしれません。それはそうかもしれません。が、しかしそう考えているのは精神であり脳です。過去はどこにも実在しません。記録や映像として残っているとしても、それは文書でありフィルムです。記録された中身が実在するわけではありません。
私たちは本当に人や物と出会っているのでしょうか?
実在するものはすべて新しいものです。朝は常に新しく無垢です。それが真理でしょう。しかし私たちの脳は、いつもすべてを名づけ、分離し、記憶しようとします。そして私たちはその記憶にしたがって人や物を見ようとします。

一人一人の脳は条件づけられたものです。それは国籍、生まれ育った環境、受けた教育、伝
統、文化などによって限定されています。条件づけられ限定されたとは、偏っているということです。偏った脳には真理は見えません。
私たちはこの惑星に人として生を受けました。それは、ただ生きつづけるだけでそれ以上何の目的もなくて良いのですけれど、もしかしたら、真理を理解するために、真理を知的にではなく体全身で理解するために生まれてきたのかもしれません。
「われ、思う故に、われ在り」と、昔の哲人が言っていますが、それは真理ではありません。正しくは「われ、関係するが故に、われ在り」でしょう。
あなたと私、あなたと物、あなたと観念との関係が人生そのものなのです。関係のないところに存在はありません。関係が世界そのものです。一人一人の関係の在りようが世界を創っているのです。
あなたと私との関係の中にもし暴力があるのなら世界は決して平和にはなりません。あなたとあなたの伴侶との間に暴力があるのにそれを放っておいて平和運動に没頭しても何の意味もないということです。観念でなく本当に平和を願うならば、あなたと人との関係の中に暴力がかけらもないか見つめなければならないでしょう。もし、かけらがあれば、それは何なのか、非難せずに、あるがままを理解しなければなりません。
人間は現在まで、いつも理想をかかげ、平和の旗のもと暴力を非難して来ました。非難そのものが暴力であるのに、暴力をあるがまま理解しようとはせず、頭で作り上げた理想をかかげてそれに従わない人びとを非難してきたのです。暴力によって暴力は決して無くすことは出来ないでしょう。
平和とはあなたと他者との関係に一切暴力がない状態のことです。言葉に過ぎない平和の法律を信奉しかかげる事ではありません。あなたと他者との関係の中の暴力に気づき、なぜそうなのか深く理解したとき、そこに平和が訪れるのです。
あなたと物との関係はどうでしょう。いつも通る道にある樹も川も山も雲もあなたとの関係で存在するのです。関係がなければ存在もありません。思想や宗教や憲法などの観念もそうです。あなたとそれらの観念との関係が世界です。

私は今回の書展で、出品された一つ一つの作品を、何ものと一切比較することなく見つめました。どの作品も素晴らしいものでした。それぞれが独自の世界を持っていました。経験の多少は何の意味も持ちませんでした。すべてが愛さずにはいられないものでした。
比較は暴力です。比較は様ざまな理由をつけて分離することです。分離のあるところ愛はありません。愛がなければすべて無意味です。
もし、出品者一人一人が比較しない意味を深く理解して、何ものとも比較せずに、あなた自身を静かに見つめた作品が来年出品されるなら、本当に新しい、価値のある、意味のある展覧会になることでしょう。
(2006年6月・会員つうしん第84号掲載)

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