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私の楽しみ(字を書くということ)

  • harunokasoilibrary
  • 2月24日
  • 読了時間: 5分

更新日:6月1日

 書は表現であり創造であり藝術だ。作品は人びとの生きることに役立たなければ意味がない。そのために創作をするのだ。この考え方はあくまで私の考え方であり、私が書についてお話しするのは私自身の書についてです。あたかも書の見方は真理のごとく唯一つであるかのようにいう書物もたまに目にしますけれど、書作品の見方は一人ひとりちがってもよいし、書についての考え方もちがってあたりまえだと私は思います。ある一人の人の書についての考え方を単一的に右にならえする考え方や生き方は私の最も忌み嫌うところです。

 

 私は私の作品がどこかの一人の人を勇気づけ生かすことができることを願って書きつづけています。しかし正確にいいますと、それだけで書きつづけているのではありません。昔書かれた書に感動してそれを臨(うつ)している時は本当に楽しい時です。また楷書の姿を追いかけて形をピタッと決めようとしている時も本当に楽しいひとときです。書についてのあれこれをほんのささいなことでも発見できたときのよろこびは最高です。とはいうものの、私には、人が簡単と思うような楷書の一字でも、気に入るように書けることはほとんどありません。気持ちを引き締めて緊張して書かないとかならず失敗してしまいます。よく人は慣れといいますが、私には慣れるということはないようです。いつまでたってもたいへんな思いをしてやっと一字を書いています。字は難しいです。何年たっても難しいことにかわりはありません。あまり難しく考えない方がよいかもしれませんが。それでも楽しいのです。書きつづけていきたいと思います。いつかかならず気に入るように書ける日がくるような気がして見果てぬ夢を見つづけているのです。私にとって書は難しいです。これはあたりまえだと思っています。私は書は表現だ創作だ藝術だと考えているわけですけれど、いつも考えて書いているわけではありません。書きたいから書いているのだといったほうが正しいでしょう。人が生きる意味を考える以前にすでに生きているように。

 

 藝術は理屈ではありませんと私は以前書きましたが軽いですね。軽はずみに書かねばよかった。「理屈ではなく感性で観よう」なんて言葉が電車の中吊りにぶらさがっていました。空ぞらしいですね。いやになりました。すでにそれが理屈なんです。もう何も言いたくなくなりました。理屈でも感性でも何でもよいではありませんか、生きることそして書くこと、それだけでいいと思います。書とは何かなんて考えるのは虚しいことかもしれません。しかし私にとって書は不思議な謎です。私は、書とは何かと考え続けていくことでしょう。また藝術には噓はないとどこかで書きました。これも軽いですね。藝術は嘘そのものだと思います。だから虚しいのです。嘘を嘘と認めないで真実ごかしている人が多いからさらに虚しくなります。私は嘘を嘘だと表現したいと今考えています。嘘を通して真実が見えればいいと思っています。嘘から再出発したいと今思っています。絵空ごとのそのむこうに真実が見えるかもしれないと。言葉は虚しいですね。言葉は死んだものです。言葉は骸(むくろ)です。愛しているという言葉より愛するほうが真実ですからね。愛することに言葉はいらないですから。これは、あまりにも日本的な考え方でしょうか。しかし、文字は言葉なくしては成り立ちません。文字の言葉には感動するものが満天の星のごとくありますね。

 

 次の詩はいかがですか。石垣りんの「不出来な絵」という詩です。少し長いですが引用してみます。素直でいいですね。

 

 

この絵を貴方にさしあげます。

下手ですが

心をこめて描きました

向こうに見える一本の道

あそこに

私の思いが通っております

その向こうに展けた空

うす紫とバラ色の

あれは私の見た空、美しい空

それらをささえる湖と

湖につき出た青い岬

すべて私が見、心に抱き

そして愛した風景

あまりに不出来なこの絵を

はずかしいと思えばとても上げられない

けれど貴方は欲しいと、言われる

下手だからいやですと

言い張ってみたものの

そんな依怙地さを通してきたのが

いま迄の私であったように

ふと思われ

それでさしあげる気になりました

そうです

下手だからみっともないという

それは世間体

遠慮や見得のまじり合い

そのかげで

私はひそかに

でも愛している

自分が描いた

その対象になったものを

ことごとく愛している

ときっぱり思っているのです

これもどうやら

私の過去を思わせる

この絵の風景に日暮れがやってきても

この絵の風景に冬がきて

木々が裸になったとしても

ああ、愛している

と、思うのです

それだけ、それっきり

不出来な私の過去のように

下手ですが精一ぱい

心をこめて描きました。

 

それに次の詩はいかがですか。茨木のり子の「言いたくない言葉」という詩です。これ以上の言葉がどこにあるでしょう。

 

心の底に 強い圧力をかけて

蔵ってある言葉

声に出せば

文字に記せば

たちまち色褪せるだろう

それによって

私が生かしめられているところの思念

人に伝えようとすれば

あまりに平凡すぎて

けっして伝わってはゆかないだろう

その人の気圧のなかでしか

生きられぬ言葉もある

一本の蠟燭のように

熾烈に燃えろ 燃えつきろ

自分勝手に

誰の目にもふれずに

 

言葉の虚しさを誰よりもよくしっている詩人の言葉だと私は思います。

                      

(1999年12月・会員つうしん第44号掲載)

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