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灯(ともしび)

  • harunokasoilibrary
  • 6月15日
  • 読了時間: 5分

 新宿のバスターミナルに早朝に着いた。JR新宿駅の近くで、通勤途中の、わびしげなサラリーマンにまじって、貧弱な食堂で、安い朝食をとり、少し元気になって、空気のように、だれに注目されることもなく、店を出て、宙に浮いたように、足取りのおぼつかない、さまよえる人びとにまじって、目的地にむかった。

 JR池袋駅から東武東上線に乗りかえ、一時間あまりで埼玉県のつきのわ駅に着いた。途中、車窓には、くたびれ、孤独な、大都会の風景や、長閑(のどか)な田園風景が、飛ぶように映しだされ、ぼくは、子供のときのように、はじめて見る、どこにでもある、すぎさる景色にみとれていた。

 人もまばらな、つきのわ駅の改札で、人恋しそうで親切な駅員から丸木(まるき)美術館への地図をもらい、人影(ひとかげ)も木陰(こかげ)もない、アスファルトの道を、快晴の太陽に焼かれながら、半時間ほど歩いて、丸木美術館に着いた。

 つきのわ駅のふたつ手前の、東松山駅から、美術館行きの、市内循環バスが出ているのだが、本数が少なく、バスをまつよりも、つきのわ駅から歩いたほうが早く着けるので、徒歩をえらんだのだ。何も、人生あくせくすることもないのだが、他に見たいものがあるので、すこし急いでいたのである。こんな心境では、ろくなことはない、何も得るものはないだろう、とわかってはいるのだけれど、欲が深いぼくは、いくつになっても、子供のように、あれもこれも、手に入れたがるようだ。

 あとで知ったことなんだが、ぼくがいくひと月半ほど前に、有名なアニメ映画監督の高畑勲氏が来館し、誰だかが館内を案内したという記事を見た。この監督は、ぼくにとっては無名にひとしい人だが、ぼくは、まさに無名を絵に描いたような者だから、誰にじゃまされることもなく、たった一人で、ゆっくりと、最後まで鑑賞することができたのは幸いであった。

 丸木位里(まるきいり)・丸木俊(とし)共同制作「原爆の図」のことは、テレビや画集などをとおして、昔から知ってはいたが、その内容主義的な具象表現に、気味悪さを感じていたこともあり、実物を見る機会はなかった。

「原爆の図」「幽霊」部分
「原爆の図」「幽霊」部分

「幽霊」部分

 来年の野のはな書展に、戦争を主題にした作品の出品を計画していたことと、北鎌倉の伯母に会いにいくこととがなければ、この作品のある、埼玉の東松山市のような遠方にまで、出かけていくことはなかっただろう。それほど、なんの期待ももたず、なにか一つでも戦争の表現について学ぶことがあれば幸いである、くらいの気持ちでやって来たのであったが、しかし、なにか無意識に見るべきものがあると思っていたのかもしれない。

 そのスケールは、ぼくの予想外のものであった。そこには、ピカソの「ゲルニカ」や岡本太郎の「明日(あす)の神話」にはない「悲しみ」があった。「ゲルニカ」には欧州の絵画の伝統が結晶しているのかもしれないが、その造型主義的な表現が人間の尊厳をきずつけている。名もなき人間の苦しみへの共感よりも、芸術家の天才的才能に価値をみるといった、ばかげた、どうでもいい、大きなかんちがいが、世界の常識になっているように、ぼくは感じる。なぜ、世界はこんなふうになってしまったのだろうか。「原爆の図」を見ていると、ピカソや岡本太郎が卑小(ひしょう)に感じられた。

「原爆の図」「火」部分
「原爆の図」「火」部分

 「原爆の図」は、十五点の連作である。それらは、1948年から1982年まで、30年以上かけて制作された、一点一点はそれぞれ、180×720センチの四曲一双(よんきょくいっそう)の屏風(びょうぶ)になっている。

 意外だったのは、作品が静かだったことである。全体から受ける、その印象を言いあらわすには、「動中(どうちゅう)に静(せい)あり」なんて陳腐な言葉ではなく、なにかもっと新しい言葉が必要だが、とりあえず、静寂(せいじゃく)また静謐(せいひつ)であると言っておこう。

 その静けさは、何を意味しているのであろうか。原爆に対する記憶と思考と怒りが、何年もかけて推敲(すいこう)され、点や線や色といった形象(けいしょう)に結晶していった、その長い時間の堆積(たいせき)を意味しているのではないだろうか。

 

 第一部「幽霊」、無数の被爆者の手が、クラシックの指揮者の繊細な手のようである。余白から無声(むせい)の音楽(叫び)が聴こえてくるようだ。人の塊(かたま)りが水墨画の深山幽谷(しんざんゆうこく)のようにも見える。希望が赤ん坊のすがたで描かれている。

 第二部「火」、12世紀に描かれた地獄草紙(じごくそうし)の炎の表現の伝統を受け継いでいるのだろうか。しかし、この炎は、妖(あや)しくも美しい炎である。地獄草紙の、恐怖をあたえる残酷な炎とは違う。燃える赤ん坊は安らかに眠っているようだ。優しい火が苦痛を癒してくれているかのように。

 第三部「水」、山水画(さんすいが)の岩のように人体が重なり描かれている。人間の足は哀れである。末期(まつご)の水をこころゆくまで飲んで、安らかに死んでゆくのだ。水は柔らかく人びとをつつんでいるようである。余白は静寂で澄んでいる。

 まだまだ、この大作は、つづいていくのだが、最初のこの三部作が「原爆の図」のすべてを縮図(しゅくず)しているように感じた。

 火や水といった自然と人間、戦争の愚かさと残酷と哀しみ、無名の人間に蓄積された見えない歴史の重み・・・・・・。

 ぼくは、驚き、言葉を失い、自分のバカさかげんに気づき、美術館を出た。入口には百人以上の女子高生が整列していた。校外学習とのこと。天の助けであった。こんな連中と一緒だったら鑑賞どころではなかった。

 戦争など、戦争を知らないぼくに表現できるわけがない。いっぱしの表現者を気取っていた自分が、カスミのようなキハクな存在に思えた。自信を失い、異邦人(いほうじん)のように、あちこち歩きまわり、疲れはてて、あしが棒のようになりながら、伯母(おば)のところに向かった。

「原爆の図」「水」部分
「原爆の図」「水」部分

 伯母は、ぼくが、きょう、くることを、おぼえているだろうか。上京することを連絡したのは、ひとつきも前であった。忘れているかもしれない。おぼえていたら玄関ポーチの明りがついているだろう。

 いくつになっても、青二才のような自分をわらいながら、人影(ひとかげ)もなく、物(ものおと)音ひとつしない、暗い坂道を、フラフラと歩いていった。

 暗く、細い、その坂道のつきあたりに、伯母の家の玄関の、小さな明りが、ひっそりと光っていた。

 (2017年12月・会員つうしん第153号掲載)

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