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書の力(1) 書く言葉

  • harunokasoilibrary
  • 2月24日
  • 読了時間: 4分

更新日:6月1日

 書といえば、詩や文を書くものとほとんどの人が思っているでしょう。昔から漢詩や和歌や格言などを人びとはかいてきましたから。さらに現代では、美しい線や墨色を出すものだと思っている人もあるかもしれません。それはそのとおりなのですが詩や文をかいたからといってただちに書になるとはかぎらないのです。詩や文をかくとはどういうことなのか。詩や文が書になるとはどういうことなのか、少し考えてみましょう。

 

 作品づくりの動機は様ざまでしょうけれど、書展があるからかかねばならない、さあいざかこうと思っても何をかいたらよいのかわからない。これではいけないのです。書を学び始めた時から書をかくとはどういうことなのか考えながら学んできた人ならこんなことにはならないのです。もちろん習字のイロハは一点一画のかき方から始めますからはじめからといってもはじめのうちは線(点画)のかき方を覚えるだけで充分です。しかしある程度筆に慣れた頃からは、書とは何か考えながら学ばないといけないのです。それで臨書したり創作をしたりして書とは何かを学ぶわけです。創作といいましてもそれはまだ演習といったほうがよいでしょう。演習ですからそれほど感動していない名言や名詩もいろいろかけるわけです。臨書は、書の古典を学ぶのですが、古典はだいたい漢詩文か和歌が多いのです。それでなんとなく文字を写して詩や文をかいたつもりになったりします。詩や文をかくのはかくのですが、詩や文とは何かということをもう少し突っ込んで考えてみましょう。  

 

 詩や文は、普通は文字で表記されています。文字というものは、習字で文字の練習をする時以外は単なる文字としては存在していません。かならず言葉としてかかれたり並べられています。だから文字は言葉といってもよいと思います。つまり詩や文には文字ではなく言葉がかかれているのです。そんなあたりまえのこと、いまさら言うまでもないないといわれそうですが、この言葉というのがややっこしいのです。書は文字ではなく言葉をかくことなのですけれど、言葉をかかずに単なる文字をかいていいる人がいるかもしれません。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩をみてみましょう。詩集を開くと詩は活字で印刷されています。その一節に「ツマラナイカラヤメロトイヒ」というところがあります。この中の「ヤメロ」という言葉は、何かをやめろと命令しているわけです。しかしこの活字だけではよく解らないのです。静かに「ヤメロ」なのか怒鳴るように「ヤメロ」なのか、怒りをおさえ声をころして「ヤメロ」といっているのか、同じ「ヤメロ」でも読み方によって幾通りにも読めるのです。声に出して話せば言葉の強弱やニュアンスはわかるのですが活字になった言葉では正確にはわからないのです。はたして宮沢賢治はどんな語調でこの言葉をつづったのでしょう。これは結局のところは宮沢賢治その人にきくしかしかたないのです。しかしそれではこの詩を理解もできませんしかけません。この詩だけでなくほとんどの詩が作者自身の声を聞くわけにいかないのですからわからないことになってしまいます。そんなはずがありません。作者の本当の意図はわからなくてもこの詩に感じるところがあったのですから何十回何百回と読み返し味わう中で自ずと詩の意味、つまり言葉の意味も理解できるようになると思います。自分の血や肉になるくらい、自分の言葉にまで消化されてはじめて理解は深まり、詩の真実により近づけるのではないでしょうか。

 

 書にかく言葉というものは、創作の演習はともかく、創作というからには何百何千回も心の襞(ひだ)をくぐり抜け、どうしてもかかねばならない、かきたい言葉でなければ価値のある力のある書にはならないのです。文字面(づら)だけではとうていわからない深い言葉の世界を書によって表出させるのが書の表現なのです。俗に言う、行間・字間を読みとってさらにその奥の奥までどこまでも深く可能な限り深い世界をつかみ取り表出させることを目指すのが書の表現であり学習だと思うのです。自分が今かいている詩や文が読めないなんてことはおはなしにならないのです。仮にそこまで深く言葉を理解していなくても、書とはそういうものだということを心の隅にしっかりおいておかなければいけないと思うのです。かきながら読み、さらに読むことを突き抜けて本当の言葉のありかを発見し、拙でも誠実な書をかくことが書のはじまりだと思うのです。

(1999年7月・会員つうしん第41号掲載)

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